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シュシュニック : ウィキペディア日本語版
クルト・シュシュニック

クルト・アロイス・ヨーゼフ・ヨハン・エドラー・シュシュニック(、1897年12月14日 - 1977年11月18日)は、オーストリアの政治家1938年にオーストリアはナチス・ドイツに併合され、彼は逮捕・拘束された。
一般には、クルト・アロイス・ヨーゼフ・ヨハン・エドラー・フォン・シュシュニック (Kurt Alois Josef Johann Edler von Schuschnigg) として知られているが、オーストリアでは1919年に爵位は撤廃されたため、現在では "von" はつけないのが一般的。
== 生い立ち・政治家へ ==
彼はオーストリア・ハンガリー帝国トレント近郊リーヴァ・デル・ガルダ(現在の南チロル)で生まれ、第一次世界大戦中にオーストリア・ハンガリー帝国の軍隊で戦った。戦後、シュシュニックはインスブルック弁護士となる。
彼はキリスト教社会党に加わり、1927年に下院議員に選出された。 1932年エンゲルベルト・ドルフースが法務大臣としてシュシュニックを指名した。1933年には教育大臣となる。ドルフースが1934年に暗殺されると、シュシュニックはドルフースの職を継いだ。彼は1936年10月に護国団(Heimwehr, 国防市民軍)を解散した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クルト・シュシュニック」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kurt Schuschnigg 」があります。



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