|
象徴主義(しょうちょうしゅぎ。; 「サンボリスム」とも)とは、自然主義や高踏派運動への反動として1870年頃のフランスとベルギーに起きた文学運動および芸術運動である。象徴主義者を総称して「象徴派」()と呼ぶ。ロシア象徴主義の開祖となった詩人ワレリー・ブリューソフなどにより、この運動はロシアにまで輸出された。イギリスにおけるラファエル前派も参照。 「象徴主義」(symbolisme)という語は、1886年に「象徴主義宣言」(''Le Symbolisme'')を発表した詩人ジャン・モレアスが、「象徴」(symbole)という語の語源〔古代ギリシアでは、''symbolon''は同盟都市の2人の外交官が互いを認識するために2つに割って1つずつを持たせた陶器片のことであった。〕である「一緒に投げること」を利用し、抽象的な観念とそれを表現するべきイマージュの間にこれらの詩が打ち立てようと望む類比関係を指し示そうとして提案した。 == 定義 == 1886年に発表された「文学宣言」(''Un Manifeste littéraire'')において、ジャン・モレアスはこの新しい様式をこう定義している。 :「象徴主義の詩は『教育や、雄弁術や、見せかけだけの感覚や、客観的な記述』の敵であり、観念に感受可能な形を着せ…」 アルベール・オーリエは『メルキュール・ド・フランス』誌において1891年にこう定義している :「芸術作品は第1に観念的であるべきである。そのただ1つの理想は観念の表現であるから。第2に象徴的であるべきである。その観念に形を与えて表現するのだから。第3に総合的であるべきである。諸々の形態や記号を総体的に理解される形で描くのであるから。第4に主観的であるべきである。事物は事物としてではなく主体によって感受される記号として考えられるのであるから。第5に装飾的であるべきである。」 象徴主義は自然主義への反動であった。「観念に感受可能な形を着せる」ことが重要であった。自然主義者とは対照的に、象徴派は事物を忠実には描かず、理想世界を喚起し、魂の状態の表現を特別扱いする印象や感覚を探求した。 象徴主義はロマン主義の最も秘教的な側面とも関係があるが、何よりもシャルル・ボードレールに負う部分が大きい。もう少し後になって知られるようになった(マラルメは「重要な通りすがり」と称した)アルチュール・ランボーは、ポール・ドゥメニーに宛てた1871年の手紙において、「魂から魂へ、全てを要約し、薫り、音、色彩、思考を引っ掛け引き出す思考」となる言葉の探求へと詩の方向を定めた〔ウィキソース所収 〕。しかしながら象徴派がリーダーと見做すのはポール・ヴェルレーヌであり、その「詩法」(1874)は象徴主義の規範を定めている: 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「象徴主義」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Symbolism (arts) 」があります。 スポンサード リンク
|