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シンボリック相互行為論 : ウィキペディア日本語版
シンボリック相互作用論[しんぼりっくそうごさようろん]

シンボリック相互作用論(Symbolic Interactionism)とは、1960年代初頭にアメリカの社会学者H・G・ブルーマーが提唱した〔ブルーマー自身によれば、彼がこの立場を「構築」したのは1937年のことである。とはいえ、この立場をブルーマー自身の立場として名実ともに「提唱」したのは1969年のことである。那須壽、1995年「現代のシンボリック相互作用論者--ブルーマー」船津衛・宝月誠編『シンボリック相互作用論の世界』恒星社厚生閣、参照。〕、社会学的・社会心理学パースペクティブの1つである。人間間の社会的相互作用(相互行為)、特にシンボリックな相互作用(symbolic interaction)を主たる研究対象とし、そうした現象を「行為者の観点」から明らかにしようとするものである〔桑原司、2003年「『シンボリック相互作用論ノート』のWeb公開について 」『鹿児島大学総合情報処理センター「広報」』No.16、参照。〕。
== 概要(歴史的流れ) ==
 シンボリック相互作用論(シンボリック相互行為論)〔大別して「シカゴ学派」「アイオワ学派」「イリノイ学派」「ドラマ学派」の4つに分けられる。次を参照のこと。船津衛、1995年「シンボリック相互作用論の特質」船津衛・宝月誠編『シンボリック相互作用論の世界』恒星社厚生閣。〕は通常、その歴史的由来をジョージ・ハーバート・ミードの業績に遡ることが出来る〔ミードの「自我の社会性」からブルーマーのシンボリック相互作用論への系譜については、次を参照のこと。船津衛、1983年『自我の社会理論』恒星社厚生閣。〕。ミードは生前数多くの論文を執筆したが、ミードのシンボリック相互作用論に対する影響の大部分は、彼の講義を聴講していた学生らによる講義録やメモの出版を通じて、あるいは当時ミードに学んだ学生の一人であったブルーマーによるミード解釈を通じて及ぼされたと言われている。ブルーマーは、主として1950年代と1960年代に数多くの論文を執筆し、シンボリック相互作用論の体系化を図った〔その間に書かれた論文から11本の論文を収録し(第2章~第12章)、1969年に出版されたのが、Blumer (1969=1991)である。ちなみに同書の第1章は、1963年脱稿の書き下ろしである。次を参照のこと。内田健、2007年「私たちはSIで何ができるか--言葉の歩みをふりかえりながら」東北社会学研究会『社会学研究』第82号。〕〔以上のことからシンボリック相互作用論は、ミードが創始者であり、ブルーマーによって提唱・確立されたという見方もある。〕。
 ブルーマーのシンボリック相互作用論が、タルコット・パーソンズを中心とする構造機能主義社会学や、G・A・ランドバーグを中心とする社会学的実証主義(操作主義)を批判し、それに代わる分析枠組や研究手法を発展させようとしたことは良く知られている。とりわけ、その分析枠組に関しては、これまでの日本の研究においては、それが提示する「動的社会」観が高く評価されてきた。すなわち、社会を、「主体的人間」によって、形成・再形成される「流動的な過程」ないしは「変動的」「生成発展的」なものと捉える、そうした社会観が高く評価されてきた〔日本におけるシンボリック相互作用論の紹介は、船津衛、1976年『シンボリック相互作用論』恒星社厚生閣を嚆矢とする。〕。
 当初「シンボリック相互作用論」と言えば、それは「ブルーマー」と同義という時代がしばらくの間続いた。とはいえその後、1970年代、1980年代になると、シンボリック相互作用論を担う新しい「リーダーとして」〔あくまで「リーダーとして」。学界へのシンボリック相互作用論者としての登場それ自体について言うならば、シブタニは1955年 、ベッカーは1963年(『アウトサイダーズ』)、ストラウスは1959年(『鏡と仮面』)と考えられ、ブルーマー(Blumer 1969)よりも早かったとさえ言える。このことはゴフマン(1959)(『行為と演技』)についても言えることである。〕、ノーマン・デンジンタモツ・シブタニアンセルム・ストラウスラルフ・ターナーハワード・ベッカーヒュー・ダンカン、S・ストライカー、ゲイリー・ファインなどが登場し、この理論の新たな方向性が模索されるとともに、ブルーマーの理論化に対する種々の批判が展開されるに至り、従来からのシンボリック相互作用論とこれら新たなリーダーたちのシンボリック相互作用論との間で活発な相互影響過程が生じた。1980年代にはさらに、アーヴィング・ゴッフマンが登場し、「ドラマツルギー」と呼ばれる手法が提示された。
 アメリカ社会学においては、この手法はSIと呼ばれ、SIにもとづいた幼児集団の観察など、社会心理学的な実証研究や小集団研究が一時期は盛んに行われた。ただ、質的研究や質的な社会調査は、的確な分析結果をもとに成果を発表することが難しく、研究者にとっては発表論文数が少なくなりがちとなる。このことから、かならずしも研究者の評価にはつながらず、競争が厳しいアメリカ社会学においては全般的に沈滞気味であり、研究例は減少傾向にあると言わざるをえない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Symbolic interactionism 」があります。



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