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シラパコーン大学()はタイにある国立大学の一つ。美術および考古学分野では、タイの国内で最高峰の大学である。1943年10月12日にイタリア生まれの美術教授シン・ピーラシーなどによって創設された。現在では多くの学部を持ち、7,000人の学生に教育を行っている。 ==沿革== シラパコーン大学の前身はもともと芸術局の管理下にあった「プラーニート美術学校」(โรงเรียนปราณีตศิลปกรรม) にある。1933年、ラーマ6世治世時にタイ王国のお雇い外国人として招聘されたシン・ピーラシー教授とサーロート・ラタミンマーン僧(พระสาโรช รัชตมินมานก์、本名:サーロー・スックヤーン(สาโรช สุขยางค์)) が、プラボーロマラーチャ王宮副王宮の中央宮殿、東宮殿に学校を設立し、当時の公務員と学生を対象に学費をとらずに講義が行われた。1934年、副王宮にあった舞踊音楽学校と合併して「シラパコーン学校」(โรงเรียนศิลปากร)となる。 1942年、「国民」意識形成のために美術の重要性を認識するプレーク・ピブーンソンクラーム首相は、芸術局を教育省から格上げし、首相府に直属するように組織改編を行った。プラヤー・アヌマーンラーチャトン(พระยาอนุมานราชธน)を芸術局局長に任じ、教育課程の改良、大学徽章の製作、法制の整備を行わせた。1943年10月12日にプラヤー・アヌマーンラーチャトンとシン・ピーラシー教授によって「シラパコーン校」は格上げされ、「シラパコーン大学」として開学した。大学では当初、絵画・彫刻学部(現:絵画・彫刻・版画学部)の1学部、絵画学科、彫刻学科の2学科しかなかった。1955年にはシン・ピーラシー教授が学部を分割し、3学部を新設した。プラプロムピチット教授(พระพรหมพิจิตร、本名:ウー・ラーパーノン、อู๋ ลาภานนท์))を設立メンバーとしてタイ建築学部(その後拡充され、現建築学部となる。)、ルワン・ボーリバーン・ブリーパン教授(หลวงบริบาล บุรีภัณฑ์)が基礎を固めた考古学部、そしてデコラティブアート学部が新設された。 大学はさらに敷地を拡張し、ナリッサラーヌワッティウォン親王の勧めにより、親王が継承していたタープラ宮殿の敷地を購入した。親王がユネスコの代表になると、タイ国内の大学研究機関設立の進言がなされ、多くの賛同が得られた。それを受け、首相府はシラパコーン大学改善整備計画を策定した。計画内容は、美術、考古学に関わらず他分野の学部の新設拡張を行うというものであった。当時学長に就任していたモーム・ルワン・ピン・マーラーグン教授(หม่อมหลวงปิ่น มาลากุล)はこの政府の計画を実行し、五つ目の学部である文学部を新キャンパスとなったナコーンパトム県サナームチャン宮殿・キャンパスに設置し、1968年6月20日に授業を開始した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シラパコーン大学」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Silpakorn University 」があります。 スポンサード リンク
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