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シーザー・デビッド・イズトゥリス(César David Izturis, 1980年2月10日 - )は、ベネズエラ・ララ州バルキシメト出身のプロ野球選手(内野手)。右投両打。現在はフリーエージェント。 異母弟のマイサーもプロ野球選手(内野手)。 == 経歴 == 7月3日にトロント・ブルージェイズと契約。 6月23日にメジャーデビューを果たし、同年46試合に出場。シーズン終了後の12月13日にポール・クアントリルと共にトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍〔。 に135試合に出場し、メジャーに定着。 には打率.288・62打点・25盗塁を記録。シーズン終了後にはゴールドグラブ賞を受賞し、年俸調停を避け球団は3年総額990万ドル(4年目は球団オプション)で契約延長。は6月1日の時点で打率.345を記録するなど好調で、オールスターに選出された。しかし、後半戦は打率.216と不調に陥った。8月22日の試合を最後にシーズンを終え、9月にトミー・ジョン手術を受けた〔。 復帰はシーズン後半戦と見られるため、球団はラファエル・ファーカルを獲得。2006年6月20日に復帰を果たしたが、7月31日にグレッグ・マダックスとのトレードでシカゴ・カブスへ移籍〔。 7月19日にピッツバーグ・パイレーツへ移籍〔。シーズン終了後に翌年の契約オプションを破棄され、FAとなったが、11月30日に1年総額285万ドルでセントルイス・カージナルスへ移籍。 は9番打者(8番が投手)として出場し、135試合で打率.263・24打点・24盗塁を記録し、復活を印象づけた。ミゲル・テハダの放出後、遊撃手を固定できずにいたボルチモア・オリオールズへ12月16日に2年総額500万ドルで移籍。 開幕前の3月に第2回WBCのベネズエラ代表に選出された〔Tournament Roster ''The official site of World Baseball Classic'' 2016年3月3日閲覧 〕。 はミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約し、開幕からロースター入り。8月6日にウェーバーでワシントン・ナショナルズに移籍したが、11日後の8月17日にDFAとなり、8月20日にFAとなった。オフの11月21日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだと報じられたが、後に誤報と判明〔Blue Jays Sign Cesar Izturis MLBTradeRumors.com〕。 1月9日にシンシナティ・レッズと契約。10月31日にFAとなった。 1月14日にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結んだが、3月24日に放出された。このシーズンは所属球団がなく、オフは母国ベネズエラのウィンターリーグでプレー。 も所属球団なく、ベネズエラのウィンターリーグでプレー。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シーザー・イズトゥリス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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