翻訳と辞書
Words near each other
・ シーム
・ シーム (バンド)
・ シームス
・ シームス (企業)
・ シームリア
・ シームルグ
・ シームレス (下着)
・ シームレス鋼管
・ シーム・カッラス
・ シーム・カラス
シーム・デ・ヨング
・ シーム溶接
・ シーメイル
・ シーメリ・クリーキ
・ シーメンス
・ シーメンスAG
・ シーメンスアリーナ
・ シーメンスシュケルト
・ シーメンス・アリーナ
・ シーメンス・シュケルト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シーム・デ・ヨング : ウィキペディア日本語版
シーム・デ・ヨング

シーム・デ・ヨングSiem de Jong1989年1月28日 - )は、スイスエーグル出身のサッカー選手ニューカッスル・ユナイテッドFC所属。ポジションはMF。得点力を買われ、2013-14シーズンではFWでの出場を増やした。
ボールコントロールに優れており、ミドルシュートも得意である。PSVアイントホーフェンに所属するルーク・デ・ヨングはシームの弟である。
== 経歴 ==
; クラブ
ヘルダーラント州ドゥーティンヘムにあるアマチュアクラブDZC'68でプレーしていたときに地元のプロクラブであるデ・フラーフスハップにスカウトされた。このとき2001年、わずか12歳だった。ドゥーティンヘムではフース・ヒディンククラース・ヤン・フンテラールと同じhet Rietveld Lyceumという公立学校に通い、大学入学資格を与えられた。2005年までデ・フラーフスハップのユースでプレーし、それからアヤックス・アムステルダムのユースに引き抜かれた〔Vol Beloften: Siem de Jong アヤックス公式サイト〕。
18歳でヘンク・テン・カテ監督率いるトップチームに昇格し、19歳のときにアヤックスとの契約を2013年6月まで延長した〔Siem de Jong langer bij Ajax アヤックス公式サイト〕。2007年9月26日、アマチュアリーグに所属するコザッケン・ボーイズ戦で途中出場し、トップチームでの初出場を飾った。エールディヴィジの試合にはアウェイでのスパルタ・ロッテルダム戦で初出場した。途中出場だったが、ロスタイムに同点弾を決めた。2007-08シーズンはリーグ戦で20試合以上出場した唯一の10代選手だった。ヴィレムII戦で全治2ヶ月の負傷を負い、3月16日からのハードな対戦(アウェイでのPSVアイントホーフェン戦、アウェイでのFCトゥウェンテ戦、アウェイでのSCヘーレンフェーン戦)への出場を逃した。4月上旬に復帰し、デ・フラーフスハップ戦でエドガー・ダーヴィッツに代わって途中出場した。2007-08シーズンは国内リーグ・国内カップ・欧州カップ戦に合わせて28試合に出場して2得点した。
2008年夏にクラブは史上最高金額でFWミラレム・スレイマニを獲得したため、デヨングは主に彼の控えという位置づけで、10試合しか出場しなかった。2009-10シーズン序盤は4-4-2フォーメーションを採用したためにポジション獲得は成らなかったが、チームが後半戦に4-3-3フォーメーションを採用すると、22節のFCトゥウェンテ戦で優勝を争うライバル相手にシーズン初得点を決めた。フィテッセ戦、ヘラクレス・アルメロ戦、NECナイメヘン戦で1試合2得点を決め、また26節から29節まで4戦連続ゴールを決める活躍で、終盤の14連勝に大きく貢献した。リーグ優勝こそならなかったが、自己最多の10得点を挙げて成長を印象付けた。フェイエノールトとのKNVBカップ決勝第1戦では開始7分で2点を奪い、勝利を決定づけた〔アヤックスがオランダカップ制覇 uefa.com、2010年5月6日〕。
2014年7月1日、イングランドプレミアリーグに所属するニューカッスル・ユナイテッドFCへの移籍が決定する。
; 代表
2007年春にオランダU-19代表に初選出され、2-0で勝利したチェコ戦で初出場した。UEFA U-19欧州選手権2007年大会予選では3試合に出場したが敗退した。U-19欧州選手権2008年大会予選では3試合に出場してそのうち2試合で得点した。2-0で勝利したグルジア戦では83分に得点し、1-3で敗れたノルウェー戦では15分に得点した。オランダU-19代表では通算6試合に出場した。
2007年11月12日、マケドニア共和国戦のためにフォッペ・デハーン監督率いるオランダU-21代表に招集された。11月16日に試合が行われ、17日には監督がデ・ヨングに対して「もはやU-21代表ではない」と述べた。しかし2008年2月5日、北京オリンピックに招集すると発言した。イタリアとの親善試合に招集されたが、前述の怪我により3-0で勝利したエストニア戦には出場できず、代役としてジョナサン・デ・グズマンが出場した。4月上旬に復帰し、再びチームに戻ったが、北京オリンピック出場は叶わなかった。
2010年8月11日のウクライナとの親善試合においてA代表初招集、初出場を果たした。2013年6月7日のインドネシアとの親善試合で代表初得点を含む2得点を挙げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シーム・デ・ヨング」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.