翻訳と辞書
Words near each other
・ シーランド火災事故
・ シーランド火災惨事
・ シーランド青少年修練院火災事故
・ シーランド青少年修練院火災惨事
・ シーランプー駅
・ シーラ・E
・ シーラ・アレン
・ シーラ・アームストロング
・ シーラ・ケリー
・ シーラ・シャヒン
シーラ・シャーウッド
・ シーラ・ダニーズ
・ シーラ・チャンドラ
・ シーラ・ナオル
・ シーラ・ナ・ギグ
・ シーラ・フレイジャー
・ シーラ・マシューズ・アレン
・ シーラ・マジッド
・ シーラ・マッカーシー
・ シーラ・メロ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シーラ・シャーウッド : ウィキペディア日本語版
シーラ・シャーウッド

シーラ・シャーウッド(Sheila Sherwood、1945年10月22日- )は、イギリスの女子上競技選手。走幅跳の選手として活躍。オリンピックには1964年東京オリンピックから3大会連続出場し、1968年メキシコオリンピックでは銀メダルを獲得。イングランド中北部サウス・ヨークシャーシェフィールド出身。
== 経歴 ==
パーキン(旧姓)は16歳だった1962年のときに、走幅跳で英国の学生記録を樹立した。この活躍により同年のポーランドとの対抗戦の英国代表として選出された。同大会では、前世界記録保持者で、メルボルンオリンピック金メダル、ローマでも銀メダルを獲得していたエルジュビェタ・クシェシンスカに2cmまで迫る記録で2位となり一気に世間の注目を浴びるようになった。同年にはヨーロッパ選手権とコモンウェルスゲームズにも出場しているが、ヨーロッパ選手権では12位、コモンウェルスゲームズでは5位に終わっている。
しかしその後のパーキンはさほど記録の向上が見られなかった。また同じ英国にいたマリー・ランドという大選手の陰に隠れがちであった、パーキンは、初めてのオリンピックとなった東京大会で13位という結果に終わった。(ランドは金メダル)しかし、パーキンは東京で同じ英国代表のハードラーのジョン・シャーウッドと出会う。2人は3年後に結婚するが、2人が出会って以降、シャーウッドの記録はどんどん向上していく。1966年のコモンウェルスゲームズではランドに次いで銀メダル。そして、1968年のメキシコオリンピックでは、自己ベストの6m68でルーマニアビオリカ・ビスコポレアヌに次いで銀メダルを獲得した。
1970年のコモンウェルスゲームズでは6m73と自己ベストを更新しついに優勝を果たす。しかし、シャーウッドはその後、背中を痛め競技力は下降線をたどっていく。1972年ミュンヘンオリンピックに3大会連続の代表として出場したものの9位と惨敗。1974年のコモンウェルスゲームズで7位に終わり現役を引退した。
シャーウッドはその後、故郷のシェフィールドの中学高校で体育教師となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シーラ・シャーウッド」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.