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ジェリー・クーズマン : ウィキペディア日本語版
ジェリー・クーズマン

ジェローム・マーティン・クーズマンJerome Martin Koosman, 1942年12月23日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国ミネソタ州アップルトン出身。
== 経歴 ==
8月27日ニューヨーク・メッツと契約。4月14日フィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャーデビュー。は4月11日ロサンゼルス・ドジャース戦でメジャー初勝利を完封で飾る。前半戦で11勝4敗・防御率1.94を記録し、オールスターゲームに初選出される。シーズン通算で19勝12敗・防御率2.08・7完封を記録し、チームメートのトム・シーヴァーが前年ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した時の成績を上回ったが、投票ではジョニー・ベンチに僅差で敗れた。
エクスパンションによって4球団が誕生し、東西2地区制となったは序盤で故障離脱。復帰後は5月28日サンディエゴ・パドレス戦では勝利こそ付かなかったが、10回を無失点15奪三振と好投するなど好調を維持し、2年連続のオールスターゲームに選出される。17勝9敗・防御率2.28を記録し、チームは地区優勝に大きく貢献。アトランタ・ブレーヴスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発し、大量リードの5回2死から突如崩れて降板するがチームは勝利し、3連勝で球団創設以来初のリーグ優勝。ボルティモア・オリオールズとのワールドシリーズでは第2戦に先発し、6回まで無安打に抑えるなど9回途中2安打1失点と好投し勝利投手。王手をかけて迎えた第5戦では投手のデイヴ・マクナリーに本塁打を浴びるなど3点を先取されるが、その後立ち直って味方の逆転を呼び、3失点完投勝利でワールドチャンピオンに輝いた。同年のメッツの躍進は「ミラクル・メッツ」と呼ばれた。
その後までの7年間で6度の二桁勝利を記録。には初の20勝となる21勝を挙げ、奪三振も200をマークし、サイ・ヤング賞の投票でもランディ・ジョーンズに次ぐ2位に入った。しかしにチームはエースのシーヴァー、主砲デイヴ・キングマンらの主力を放出して一気に弱体化し、防御率3.49ながら終盤に9連敗を喫するなど、リーグ最多の20敗を喫した。も防御率3.75ながら3勝15敗に終わり、12月8日に後日発表のジェシー・オロスコ他1選手との交換トレードで故郷のミネソタ・ツインズへ移籍。
移籍1年目のは3年ぶりの20勝を挙げて復活を遂げる。も16勝を挙げる。8月30日に後日発表の1選手を含む3選手プラス金銭との交換トレードでシカゴ・ホワイトソックスに移籍し、最終的にリーグ最多の13敗を喫する。、は共に11勝7敗を記録。1983年はチームが地区優勝を果たし、オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦でリリーフしたが1死しか取れずに降板し、チームは1勝3敗で敗退した。2月15日、前年に成立したトレードの見返りとしてフィリーズに移籍。4月13日モントリオール・エクスポズ戦でピート・ローズに通算4000安打となる二塁打を打たれた。同年は14勝を挙げるが、は6勝に終わって12月6日に解雇され、現役を引退。
にメッツの殿堂入りを果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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