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ジェームス・ハミルトン・バラ : ウィキペディア日本語版 | ジェームス・ハミルトン・バラ
ジェームス・ハミルトン・バラ(James Hamilton Ballagh、1832年9月7日 - 1920年1月29日)は幕末から明治初期にかけて来日したアメリカ・オランダ改革派教会派遣のアメリカ人宣教師。日本で最初にできたプロテスタント教会の牧師。明治期のプロテスタント教会に大きな影響を与えた。 == 生涯 == 1832年にアメリカ合衆国ニューヨーク州に生まれる。ラトガーズ大学、ニュー・ブランズウィック神学校で学んだ。神学生時代に、サミュエル・ロビンス・ブラウンの日本宣教の宣伝を聞いて感銘を受けて、日本宣教を決意する。1861年にマーガレット・テート・キニアと結婚する。結婚直後にアメリカ合衆国のオランダ改革派の宣教師として来日した。 日本では横浜に住み、矢野元隆に日本語を習った。後に、矢野は死の一ヶ月前の1864年11月4日にバラから病床洗礼を受けた。日本で最初に洗礼を受けたプロテスタントの信徒とされる〔佐波亘『植村正久と其の時代』教文館〕。1872年に日本基督公会の仮牧師に就任する。神奈川、東京、伊豆から信州まで伝道活動を行い、日本の教会の土台を作った。植村正久らを指導し、横浜バンドの骨格を作るのに大きな貢献をした。 また、横浜開港後に生まれた西洋人と日本人の混血児が差別されるのに心を痛め、アメリカのプロテスタント関係者に支援を要請して、3人の女性宣教師を教育者として招くことに成功した。彼女たちによって作られた女子寄宿学校が現在の横浜共立学園中学校・高等学校である〔加藤重『凛として生きる ――渡辺カネ・高田敏子・坂本真琴の生涯』晩聲社、2012年、pp.20 - 22〕。
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