翻訳と辞書
Words near each other
・ ジェームズ・ダサオル
・ ジェームズ・ダッドリー
・ ジェームズ・ダフ
・ ジェームズ・ダフィ
・ ジェームズ・ダン
・ ジェームズ・ダーシー
・ ジェームズ・ダーデリアン
・ ジェームズ・チャドウィック
・ ジェームズ・チャリス
・ ジェームズ・チャンス
ジェームズ・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ
・ ジェームズ・チャーチワード
・ ジェームズ・ティソ
・ ジェームズ・テイラー
・ ジェームズ・テニー
・ ジェームズ・ディーン
・ ジェームズ・デイビス・ポーター
・ ジェームズ・デイヴィス・ポーター
・ ジェームズ・デプリースト
・ ジェームズ・デモナコ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジェームズ・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ : ウィキペディア日本語版
ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ

ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ(James Chance and the Contortions)は、ジェームス・チャンスが中心となって結成された、アメリカ合衆国ノー・ウェーブパンクジャズバンド。ザ・コントーションズジェームス・ホワイト・アンド・ザ・ブラックス (James White and the Blacks) 名義でも活動(ジェームス・ホワイトはジェームス・チャンスの別名義)。
== 概要 ==
ウィスコンシン州からニューヨーク州に移住したジェームス・チャンスが中心となって、1978年に結成。ニューヨークのライブハウス「アーティスト・スペース」でDNAマーズらとライブを行っていたが、そのライブではチャンスは観客席に度々降りていき、客を殴りつけていた〔『アフター・アワーズ』(2001) p.38〕。そのライブを見たブライアン・イーノの提案によって、ノー・ウェーブのコンピレーションアルバム『ノー・ニューヨーク』に参加することとなった。その後1979年に、ザ・コントーションズ名義で『''Buy''』をリリースしたが、このアルバムにはジェームス・チャンスの名前はクレジットされていない。『Buy』がリリースされる前にジェームス・チャンスと他のメンバーとの間には摩擦が生じ始め、チャンスはジェームス・ホワイト・アンド・ザ・ブラックス名義の新プロジェクトを進めて、アルバムをリリースした。またチャンスとマネジャーのアニヤ・フィリップス (en) はコントーションズのオリジナルメンバーに度々批判を浴びせていたため、メンバーは頻繁に変わった。
活動は1980年代前半から休止していたが、2001年頃からオリジナルメンバーで期間限定の再結成を果たし、All Tomorrow's Parties という音楽フェスに2度参加した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 James Chance and the Contortions 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.