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ジネット・ヌヴー
ジネット・ヌヴー(Ginette Neveu, 1919年8月11日 パリ - 1949年10月28日 大西洋アゾレス諸島)は、フランスのヴァイオリニスト。 == デビューまで == 母がヴァイオリン教師、父もアマチュアながらヴァイオリンを嗜む音楽一家に生まれた。ひとつ年上の兄ジャンはピアニスト。母の手ほどきにより幼少時より才能を発揮し、7歳でブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番をパリのサル・ガヴォー(:fr:Salle Gaveau)で奏いた〔「ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番をパリのサル・ガヴォーで奏いた」とのみ伝わり、共演者については伝わらない。ピアノ伴奏での演奏と思われる。〕。1930年、11歳でパリ音楽院に入りナディア・ブーランジェに学んだ。 翌1931年、11歳のヌヴーはウィーンでのコンクールに参加し、高名なヴァイオリニストのカール・フレッシュ(:en:Carl Flesch)教授にその才能を見出された。フレッシュはヌヴーの両親に手紙を送ってヌヴーを直ちにベルリンに留学させるように勧めたが、家庭が裕福でなかったことから留学が実現するまで2年を要した。13歳になったヌヴーはようやくベルリンにやって来て改めて演奏を披露することになるが、それを聴いたフレッシュはこう感想を述べている。 ヌヴーはフレッシュの指導を4年にわたって受け、1935年に15歳でワルシャワで開催されたヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールに出場し〔ヌヴー家はコンクールへの出場費用を工面できず、師のフレッシュが費用を全額負担した(「ジネット・ヌヴー2(Shellman)」)。〕、180名の競争相手を破って優勝した。このコンテストでは、後にヴァイオリニストとして大成することになる当時26歳のダヴィッド・オイストラフが2位で入賞したが、結果発表の翌日に故国で待つ妻に手紙でこう言及している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジネット・ヌヴー」の詳細全文を読む
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