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ジェイムズ”ジミー”・マクミラン3世( 1946年12月1日〔Ellen Delaney (2010-10-19). 〕 - )は、ニューヨーク州ブルックリン区を活動の拠点とする、アメリカ合衆国の政治活動家、泡沫候補、カラテの達人、ベトナム戦争帰還兵である。郵便局員、ストリッパー、私立探偵の職も経験している。ニューヨークを拠点にした政党である「」の設立者、代表として最もよく知られている。 1993年以来、少なくとも6度にわたって選挙に出馬しており、中でも2010年のニューヨーク州知事選では、特異な政治的主張や立派なあごひげ、黒い手袋といった外見的特徴から注目を浴びた〔"Rent Is Too Damn High Party Candidate For Governor Jimmy McMillan On 'Inside City Hall'" . 〕〔Miller, David Lee. 〕。2010年12月には共和党員として、2012年アメリカ合衆国大統領選挙へ出馬する意向を表明した。しかしながら投票用紙にマクミランの名前が載ることはなく、彼は「家賃がクソ高すぎる党」に戻って自身の政治的主張を続け、2013年のニューヨーク市長選に出馬することとした。2014年市長選にも出馬しようとしたが、投票用紙に名前を載せることができなかった。 == 政治活動 == === 初期の選挙戦 === 1993年のニューヨーク市長選に「家賃がクソ高すぎる党」の公認候補者として出馬した。マクミランにとっては初めての経験となったこの選挙戦で、彼はあるとき、木に括り付けられてガソリンをぶっかけられた〔Parente, Michele (1993-06-25). 〕。その後、彼はブルックリン橋に自ら登り、「テレビ局が俺の主張を放送するまではここから降りない」と言った〔Raftery, Tom and Miguel Garcilazo (1993-10-27). 〕。マクミランは、一般投票用紙への記載に必要な請願数7500票に300票足りず、投票用紙に名前を載せることができなかった。 マクミランは次に、1994年のニューヨーク州知事選に出馬した。このときは住んでいるブルックリンから徒歩でアップステート・ニューヨークを通ってバッファローまで行った。道中、ホームレスの避難所に泊まりながらの旅だった。なお、帰路も徒歩で行こうと思ったが、ロチェスターでケガをしたため、やむなくバスで戻った〔Claflin, Blair (1994-05-11). 〕。バッファローに着いたとき、民主党の州規模の党大会が開かれていた。そこでマクミランは州知事候補マリオ・クオモの演説を邪魔して中断させたところ、会場からつまみ出された〔Cardinale, Anthony (1994). 〕。投票用紙に名前を載せることが必要な署名の数が足りなかったため、名前を筆記することで投票することになる候補として活動を続けた。 2000年の合衆国上院選においてもニューヨーク州の議員候補として立候補したが、投票用紙に名前が記載されなかった〔Murphy, Jarrett. 〕。 2005年と2009年のニューヨーク市長選における11月総選挙投票用紙には適格性が認められ〔"IPOWER" . 〕〔"Jimmy McMillan, Mayor" . 〕、2005年には、4,111票 (0.32%)〔"STATEMENT AND RETURN REPORT FOR CERTIFICATION: General Election 2005, Crossover - All Parties and Independent Bodies" (PDF). ''vote.nyc.ny.us''. 2005-11-08. 〕、2009年には、2,332票 (0.2%)を得た〔"Online: 2009 NYC General Election Returns" . 〕。 2006年のニューヨーク州知事選では、13,355票 (0.3%)を得て、6人の候補者中5位につけた〔NYS Board of Elections Governor Election Returns Nov. 7, 2006 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジミー・マクミラン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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