|
ジム・コンスタンティー(Casimir James "Jim" Konstanty、1917年3月2日 - 1976年6月11日)はアメリカニューヨーク州ストライカーズヴィル出身の野球選手(投手、右投げ右打ち)。"Whiz Kids"と呼ばれた1950年のフィラデルフィア・フィリーズで救援投手として活躍し、同年ナショナルリーグ最優秀選手となった。 ==来歴・人物== シラキュース大学で学士号を取得した後、コンスタンティーはニューヨークのセントレジス・フォールズで体育の教官をしていたが、その後シンシナティ・レッズと契約して1944年にメジャーにデビューする。同年先発として6勝4敗の成績を残したが、1947年まではほとんどマイナーリーグで過ごしていた。1948年、31歳になってフィラデルフィア・フィリーズに移籍し、リリーフを専門でこなす投手となってから、ようやくメジャーに定着するようになった。 鋭いスライダーとチェンジアップを武器に1949年に9勝7セーブ、3.25の成績を残し、翌1950年にはリーグ最多となる74試合に登板し16勝7敗と22セーブ、防御率2.66を記録、この年のフィリーズのリーグ優勝に大きく貢献する。この年コンスタンティーはナショナルリーグの最優秀選手だけでなく、AP通信のアスリート・オブ・ザ・イヤーや、スポーティングニューズ紙のピッチャー・オブ・ザ・イヤー等の表彰を受けた。 しかし翌年はその反動からか4勝11敗9セーブと不振に陥り、1953年には再び先発投手となり14勝を挙げている。このときはすでに36歳になっていた。翌1954年シーズン中にフィリーズから放出され、ヤンキース、カージナルスに在籍し1956年に現役を引退した。 1976年にニューヨーク州オニオンタで死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジム・コンスタンティー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|