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ジェイムズ・アルビン・パーマー(James Alvin Palmer, 1945年10月15日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身。ニックネームは「Cakes」。 == 経歴 == 8月16日にボルティモア・オリオールズと契約。はA級で11勝3敗・防御率2.51を記録するが、129イニングで130四球。に19歳で開幕メジャー入りを果たし、4月17日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビュー。主にリリーフでの起用で5勝を記録。は開幕から先発に定着し、15勝10敗・防御率3.46を記録してチームのボルティモア移転後初のリーグ優勝に貢献。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第2戦に先発してこの試合が現役最後の登板となったサンディ・コーファックスと投げ合い、4安打完封勝利。勢いに乗ったチームは続く第3戦・第4戦を共に1-0で勝利し、4連勝で球団史上初のワールドチャンピオンに輝いた。 は5月12日のニューヨーク・ヤンキース戦でホワイティ・フォードと投げ合い、6回までパーフェクトに抑える。7回無死から安打を許すが次打者を併設に打ち取り、1安打無四死球・残塁0の「準完全試合」を記録。しかしその後は肩の故障に苦しんで9試合の登板に留まり、はメジャーでの登板なしに終わる。4球団が拡張され東西2地区制となったは途中1ヶ月以上の離脱もあったが、8月13日のオークランド・アスレティックス戦で6四球を与えながらノーヒッターを達成するなど11連勝を記録し、16勝4敗・防御率2.34・6完封と復活を果たす。チームは2位に19ゲームの大差を付けて地区優勝。ミネソタ・ツインズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、10安打を浴びるものの2失点完投勝利を挙げ、チームを3年ぶりのリーグ優勝に導く。ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは第3戦に先発したが6回4失点で敗戦投手となり、チームも1勝4敗で敗退した。は前半戦で12勝を挙げ、オールスターゲームに初選出され先発投手を務めた。20勝10敗・防御率2.71、共にリーグトップの305.0イニング・5完封を記録し、チームは地区連覇。ツインズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、12奪三振1失点完投勝利で2年連続の胴上げ投手となる。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは第1戦に先発して勝利投手となり、チームは4勝1敗で4年ぶりのワールドチャンピオンとなった。サイ・ヤング賞の投票では5位に入った。は開幕から5連勝するなど20勝9敗・防御率2.68を記録し、チームメイトのデーブ・マクナリー(21勝)、マイク・クェイヤー、パット・ドブソン(各20勝)と共にのシカゴ・ホワイトソックス以来となる「20勝カルテット」を形成し、チームは地区3連覇。アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発しレジー・ジャクソンに2本塁打を浴びるが、3失点完投勝利で3年連続の胴上げ投手。ピッツバーグ・パイレーツとのワールドシリーズでは第2戦に先発し勝利投手となるが、第6戦では9回2失点の好投も勝敗付かず。チームは3勝4敗で敗退した。は前半戦で8連勝を含む13勝・防御率1.91を記録し、オールスターゲームでは2度目の先発投手を務めた。21勝10敗・防御率2.07を記録するが、チームは地区3位に終わった。は7月27日のクリーブランド・インディアンズ戦で7回まで無安打に抑え、8回に安打を打たれるが1安打完封勝利。10連勝を含む22勝9敗・防御率2.40の成績で最優秀防御率のタイトルを獲得し、チームの2年ぶりの地区優勝に貢献。アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し、5安打12奪三振完封勝利。第4戦では2回途中で降板。第5戦では4回途中からリリーフ登板し無失点に抑えるが、チームは完封負けで敗退した。サイ・ヤング賞の投票では、383奪三振のメジャー記録を樹立したノーラン・ライアンを抑えて初受賞し、MVPの投票でもジャクソンに次ぐ2位に入った。 は初の開幕投手を務めるが、途中7連敗を喫するなど不調。6月から約2ヶ月離脱もあり7勝12敗と不本意な成績に終わるが、チームは地区連覇。3度目の対戦となったアスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し1失点完投と 好投するが、打線がヴァイダ・ブルーに2安打で完封されて敗戦投手となり、チームは1勝3敗で敗退した。は復活を果たし、いずれもリーグトップの23勝(11敗)・防御率2.09・10完封を記録し、キャットフィッシュ・ハンターと並んで初の最多勝利、2年ぶりの最優秀防御率を獲得。2年ぶりのサイ・ヤング賞を受賞した。は22勝13敗・防御率2.51、リーグ最多の315.0イニングの成績で2年連続の最多勝利・サイ・ヤング賞、初のゴールドグラブ賞を獲得。はオールスターゲームで3度目の先発投手を務める。20勝11敗・防御率2.91、リーグ最多の22完投・319.0イニングの成績で、デニス・レナードら2人と並んで3年連続の最多勝利。は5月20日から4完封を含む7連勝。オールスターゲームでは2年連続4度目の先発投手を務めた。終盤にも7連勝を記録し21勝12敗・防御率2.46で4年連続20勝を達成。は故障もあって10勝に終わるが、チームは5年ぶりの地区優勝を果たす。カリフォルニア・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し、9回3失点で勝敗は付かなかったが、チームは8年ぶりのリーグ優勝。パイレーツとのワールドシリーズでは第2戦に先発し、7回2失点で勝敗付かず。第6戦では6回まで無失点だったが終盤打ち込まれ、8回4失点で敗戦投手。チームは王手をかけてから3連敗を喫し、2勝4敗で敗退した。は後半戦で防御率4.90と調子を落とし、16勝を挙げるが防御率3.98とそれまでのキャリアワーストとなった。は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮され、後半戦で防御率4.74とまたも不調で7勝に留まる。は序盤は不調だったが、6月7日から11連勝を記録。チームはミルウォーキー・ブルワーズと地区優勝を争い、10月1日からの直接対決4連戦で3連勝し同率で並ぶ。勝てば逆転優勝となるシーズン最終戦で先発するが敗戦投手となり、地区優勝を逃した。それでも15勝5敗・防御率3.13と復活を果たした。サイ・ヤング賞の投票でピート・ブコヴィッチに次ぐ2位に入った。は故障で長期離脱し、15年ぶりのマイナーも経験するなど5勝に終わるが、チームは4年ぶりの地区優勝。ホワイトソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは代走による出場のみで登板機会はなかったが、チームはリーグ優勝。フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは第3戦で5回から先発のマイク・フラナガンをリリーフし2回を無失点に抑えて勝利投手。これで1960・70・80年代の3つのディケイドでワールドシリーズでの勝利を挙げた史上唯一の投手となった。チームは4勝1敗で13年ぶりの、現在で最後のワールドチャンピオンに輝いた。は結果を残せず3連敗を喫し、5月17日に解雇され現役引退。オリオールズ一筋で投げ続けたフランチャイズ・プレイヤーだった。 に背番号『22』が球団の永久欠番に指定され、にアメリカ野球殿堂入りを果たした。45歳にして復帰を目指し、古巣オリオールズのスプリングトレーニングに招待選手として参加。オープン戦にも登板したが衰えを隠せず、復帰は実現しなかった。現在はテレビ解説などで活動している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジム・パーマー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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