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ジム・ブリーチ(Jim Breech 1956年4月11日- )はカリフォルニア州サクラメント出身の元アメリカンフットボール選手。NFLでは1979年から1992年までの14シーズンを主にシンシナティ・ベンガルズでプレイした。ポジションはプレースキッカー。 カリフォルニア大学から1978年のNFLドラフト8巡目でデトロイト・ライオンズに指名されたが開幕前にカットされた。翌1979年にオークランド・レイダーズにフリーエージェントで入団し全16試合に出場したが1980年のプレシーズンにレイダーズがシンシナティ・ベンガルズからカットされたクリス・バーと契約したためカットされた。彼はクリーブランド・ブラウンズのフロント入りしていたポール・ウォーフィールドに電話をして負傷したキッカー、ドン・コックロフトの代わりに自分と契約してくれるようアピールした。クリーブランドを訪れる前に彼はシンシナティ・ベンガルズからの電話を受け、ベンガルズへ入団することを決断した。現役引退まで彼はベンガルズでプレーした。 現役通算14シーズンで彼はFGを340回中243回成功(成功率71.4%)、エクストラポイントを539回中517回成功(成功率95.9%)させ合計1,246得点をあげた。そのうち1,152得点はベンガルズであげたがこれはチーム記録となっている。彼は歴代2位となる186試合連続得点をあげ、オーバータイムでのFGは9本中全て成功させNFL記録を作った。第16回スーパーボウル、第23回スーパーボウルにも出場しFG、エクストラポイントは全て成功させた。第23回では3本のFGを成功させて残り3分10秒で16-13とベンガルズはサンフランシスコ・フォーティナイナーズをリードした。このまま試合が終わればスーパーボウル初のMVPに選ばれる可能性もあったがフォーティナイナーズは92ヤードのドライブを行い、残り34秒で逆転のTDを決めた。 1985年にはチーム記録となる120得点をあげたがこの記録は1995年にダグ・ペルフリーが121得点をあげて破られた。 飛距離のあるキックが必要なロングFGやキックオフはパンターのリー・ジョンソンが行ったことがある。 彼の息子のダニエルはアリーナフットボールのインドアフットボールリーグ、シンシナティ・マーシャルズでプレーした。 現在彼はシンシナティ郊外のブルーアッシュで保険の仕事をしている。また元ベンガルズのキッカー、ダグ・ペルフリーが始めた子供たちのためのチャリティ、「Kicks for Kids Foundation」にも参加している。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジム・ブリーチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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