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ジェイムズ(ジム)・マコーミック(James(Jim) McCormick, 1856年11月3日 - 1918年3月10日)は、1870年代から1880年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手。ポジションは投手。スコットランド・グラスゴー生まれ。右投げ右打ち。ナショナルリーグ初期に最多勝を2度獲得、通算265勝を挙げた。 ==略歴== 1878年、21歳でインディアナポリスからナショナルリーグにデビューした。1年目に5勝8敗ながら1.69の防御率を残す。同年チームが解散した後、1879年からはクリーブランド・ブルースに所属、22歳ながら監督を兼任する。同年20勝40敗と成績は伸びなかったが、1880年には74試合に登板して45勝20敗の成績を残し、リーグの最多勝利投手となる。2年後の1882年にも68試合で36勝を挙げて、自身2度目の最多勝利投手となる。また翌1883年には、リーグ最高の防御率1.84の成績も挙げた。 マコーミックは1884年途中までクリーブランドに居たが、シーズン途中でユニオン・アソシエーションのシンシナティ・アウトロー・レッズに移籍する。移籍後のマコーミックは21勝3敗、防御率も1.54と好成績を残したが、当時殆どの試合に投げていたマコーミックを失ったクリーブランドの方は、以後連敗を重ね、同年チーム解散に追い込まれてしまった。 ユニオン・アソシエーション解散後はプロビデンスを経て、キャップ・アンソンが率いていたシカゴ・ホワイトストッキングス(現シカゴ・カブス)に2年間所属した。マコーミックはアンソンやキング・ケリーらとかなり親しかったそうで、自身もシカゴ在籍の2年間は計51勝15敗と活躍し、両年のシカゴのリーグ制覇にも貢献した。 1887年、マコーミックは30歳で野球選手を引退し、1918年にニュージャージー州で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジム・マコーミック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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