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ジャコモ・アントニオ・ペルティ : ウィキペディア日本語版
ジャコモ・アントニオ・ペルティ

ジャコモ・アントニオ・ペルティGiacomo Antonio Perti, 1661年 - 1756年4月10日)はイタリア盛期バロック音楽作曲家。もっぱらボローニャで活躍し、その地で60年にわたって教会楽長を勤めた。音楽教師としてジュゼッペ・トレッリジョヴァンニ・マルティーニらを輩出。
== 生涯 ==
ボローニャ出身。幼少期から早熟な楽才を発揮してチェンバロヴァイオリンを習い、後に対位法を学んだ。17歳までに宗教曲の作曲を始め、ミサ曲モテットマニフィカトを残す。1678年に最初のオラトリオ歌劇を作曲。パルマ滞在中にジュゼッペ・コルソの薫陶を受け、1680年代から1690年代にかけて作曲された詩篇唱の大半は、コルソの作曲様式に影響されている。その後ヴェネツィアに行き、おそらくオペラの一つが同地で上演されたらしい。
1690年にボローニャに戻り、聖ピエトロ大聖堂の教会楽長職に就任。1696年には聖ペトロニオ大聖堂の教会楽長職に着任、94歳で没するまでその地位にあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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