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ジャック・エリュール : ウィキペディア日本語版
ジャック・エリュール

ジャック・エリュール(Jacques Ellul、1912年1月6日 - 1994年5月19日)は、ボルドーを拠点に活動したプロテスタント知識人・思想家。
主に社会学と神学の2領域にわたる著作群を残した。特に、社会学的著作群に属する主著『技術社会』(原題は『技術、あるいは、世紀の賭け』 La technique ou l’enjeu du siècle)で、先駆的な現代テクノロジー批判と文明批評を展開したことで知られる。日本での知名度は全般に低いが、主に本国フランスと米国では広範な知的影響を及ぼしている。その思想は、例えば、イヴァン・イリイチや、反グローバリズムアルテルモンディアリスム)の活動家として知られる酪農家アナーキスト、ジョゼ・ボヴェに影響を与えている。キリスト教徒としては、フランスでは少数派であるフランス改革派教会に所属した。クリスチャン・アナーキストと呼べる思想の持ち主であり、福音信仰に深く根ざした神学的思索を重ねつつ、既成のキリスト教や教会のあり方を常に厳しく批判し続けたことでも知られる。
==生涯==
父ジョセフ・エリュールと母マルテ・メンデスの一子として1912年1月6日、ボルドーで誕生。首都パリの文化的・知的凝集力が強大なフランスにおいて、終生ボルドーに止まり、その地を活動の拠点とした。リセで優秀な成績を収め、ボルドー大学に進んだエリュールは、ローマ法を専攻し、36年に博士号を取得。大学時代には、カール・マルクスとキリスト教の双方との決定的な邂逅を果し、以来、常に両者の間の緊張の内に身を置いて思考することになる。神学的には、カール・バルトから強い影響を受けており、後にエリュールが平信徒(レイマン)として展開することになる神学思想は、バルト神学との対話、その批判的継承という一面を持った。
1930年代両大戦間期には、学業を続ける傍ら、知的盟友ベルナール・シャルボノーBernard Charbonneau, 1910-96)と「ガスコーニュ人格主義」と称される活動を展開。この時期、プルードンバクーニンなどアナーキズムの著作から強く影響を受ける。1933年にはパリへ上り、エマニュエル・ムーニエ率いる『エスプリ』の人格主義運動に37年まで参加。スイス出身の思想家ドニ・ド・ルージュモンとも、この運動を介して知り合う。この時期の活動によって、エリュールは、1930年代の非順応主義者の一人に数えられる。37年、モンペリエ大学で講師として教鞭を取り始め、翌38年にはストラスブール大学に移るが、ヴィシー政権の成立直後、アルザス・ロレーヌ出身の学生らに対して私的に行った助言が、官憲によって反ヴィシー的と見なされたことに加え、エリュール自身の父親が英国籍を持つ「メテク(外国人)」であることが発覚したことで、当然解職される。その後、解放までボルドー近郊の田舎町で慣れない農作業に従事し、自給自足の生活を営みながら、 レジスタンス運動に関与し、ナチスに迫害を受けるユダヤ人の保護にあたった。この功績で1981年にイスラエル政府より「諸国民の中の正義の人」の称号を受けた。
解放後の1944年には、ごく短期間であるがボルドー市助役として現実政治に携わる。政治に深い失望を覚え、早々にしてこの職を辞した後は、ボルドー大学法学部教授として教鞭を取り、47年からボルドー政治学研究所の社会学史講座を担当。以後、94年に死去するまで、ボルドー大学を拠点(80年に退官)に、その生涯を主に教育と著述活動に捧げた。キリスト教知識人としては、47年から51年にかけて、世界教会協議会(WCC)で専門委員を勤め、51年から70年にはフランス改革派教会の全国評議会のメンバーとして働いている。
エリュールが行動する知識人として自らの信条としたスローガンは、「グローバルに思考し、ローカルに行動する」(Think Globally, Act Locally / Penser globalement, agir localement)であった。60年代には、フランス政府がアキテーヌ地方で着手しようとしていた開発事業に抗するため、シャルボノーと連携のもとに「アキテーヌ沿岸保護委員会(Comité de Défense de la Côte Aquitaine)」を組織し、先駆的な環境保護活動を展開した。この活動によって、エリュールはエコロジスムの思想家としても知られるようになる。ジョゼ・ボヴェは、この時期、エリュールの思想、特にその技術社会批判から影響を受けている。また、同時期、エリュールは、ギー・ドゥボール「状況主義」(シチュアシオニスト運動)に共鳴し、この運動への接近を図っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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