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ジャック・フィースター : ウィキペディア日本語版
ジャック・フィースター

ジャック・フィースター(John Albert "Jack" Pfiester, 1878年5月24日 - 1953年9月3日)は、1900年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手オハイオ州シンシナティ生まれ。左投げ右打ち。ニックネームは"Jack The Giant Killer"(ジャック・ザ・ジャイアント・キラー)。1900年代のシカゴ・カブスのナショナルリーグ3連覇に貢献、特に当時ライバルだったニューヨーク・ジャイアンツ戦で好投したことがニックネームの由来である。
==略歴==
両親の苗字は"Hagenbush"だったのだが、その両親はフィースターが3歳のときに亡くなったため、叔父夫婦の苗字を受け継いだものである。シンシナティのセミプロチームで投げていたが、1903年シーズン中にパイレーツのトライアウトを経て入団する。パイレーツには2年間在籍するが結果が出ず、1905年にはウェスタンリーグのオマハ球団に送られていた。
オマハでフィースターは徐々に好投を見せるようになる。左横手投げのスタイルから、後に「プレッツェル・カーブ」と呼ばれるようになる大きなカーブが武器となり、これに注目したシカゴ・カブスは1906年にフィースターをカブスに入団させた。この年の5月30日、フィースターは延長15回で17奪三振という当時の1試合の奪三振数記録を樹立する。結局このシーズンは31試合を投げて20勝8敗、防御率1.51という成績を残し、カブスはレギュラーシーズン116勝を上げてリーグ優勝を果たす。
1907年には30試合に登板して自責点わずか25で投げきり、防御率1.15でこの年の最優秀防御率投手となる。この年のワールドシリーズでも、タイ・カッブ率いるデトロイト・タイガースを被安打10ながら失点1でしのぐ好投を見せ、カブスのワールドシリーズ優勝に貢献した。翌1908年にも12勝を上げシーズン防御率は2.00と低い値を記録する。同年9月23日のニューヨーク・ジャイアンツとの試合で、フィースターは投球中に腕を脱臼するアクシデントに見舞われた。しかしフィースターは痛みをこらえてこの試合を最後まで投げきり、脱臼した腕でジャイアンツを5安打に押さえるという投球を見せた。〔この試合はジャイアンツのフレッド・マークルの二塁踏み忘れにより、ジャイアンツのサヨナラ勝ちが取り消され引き分け再試合となったゲームである。詳細はフレッド・マークルの項を参照。〕
それまで無理をしてきたこともあり、1910年以降フィースターの登板機会は急激に減っていった。1911年は胃炎に悩まされ6試合に登板しただけでマイナーのルイビル球団に移り、再びメジャーに戻ってくることはなかった。マイナーリーグでは1916年まで選手として活動し、同年引退。メジャーリーグ在籍は8年と短かったが、通算防御率2.02、対ジャイアンツ戦で15勝5敗、完封7の記録を残した。1953年にオハイオ州で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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