翻訳と辞書
Words near each other
・ ジャハニプリ駅
・ ジャハラー県
・ ジャハンギール・ラタンジ・ダーダーバーイ・タタ
・ ジャハーナーラー・ベーグム
・ ジャハーンギール
・ ジャハーンギール (ティムール朝)
・ ジャハーンギール・カーン
・ ジャハーンギール・ホージャ
・ ジャハーンギール廟
・ ジャハーンダール・シャー
ジャハーン・シャー
・ ジャハーン・シャー (ムガル皇子)
・ ジャバ
・ ジャバ (帆走フリゲート)
・ ジャバウォッキー
・ ジャバウォッキー (漫画)
・ ジャバウォック
・ ジャバウォック (曖昧さ回避)
・ ジャバウォックの詩
・ ジャバコ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジャハーン・シャー : ウィキペディア日本語版
ジャハーン・シャー

ジャハーン・シャー(Jahan Shah, 1749年 - 1790年)は、北インドムガル帝国の対立君主。第15代君主シャー・アーラム2世と対立した。ビーダール・バフト〔ビダル・バフトとも発音されるが、正確な発音はビーダール・バフトである。〕(Bidar Bakht)とも呼ばれる。父は第13代君主アフマド・シャー
== 生涯 ==
1749年ムガル帝国の皇帝アフマド・シャーの息子として生まれた〔Delhi 12 〕。
1752年11月12日、ビーダール・バフトはパンジャーブ太守に任命された〔Delhi 12 〕。その2年後、父のアフマド・シャーはガーズィー・ウッディーン・ハーンに廃位された。
1788年7月18日、アフマド・シャーの継母マリカ・ウッザマーニーの招きでグラーム・カーディル・ハーンデリーに入城した。皇帝シャー・アーラム2世は廃位され、代わりにビーダール・バフトが「ジャハーン・シャー」として皇帝となった〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.262〕。
ジャハーン・シャーは皇帝の代数に数えられておらず、実際はシャー・アーラム2世と対立した皇帝の一人にすぎないとされる。また、彼はグラーム・カーディル・ハーンの傀儡であったばかりか、自身の宝石を差し出さねばならないなど、その立場は非常に不安定だった〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.263〕。
その後、シャー・アーラム2世に味方するマラーターマハーダージー・シンディアがデリー進軍してきたため、10月2日にジャハーン・シャーはグラーム・カーディル・ハーンとともにデリーを出た〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.263〕。だが、10月16日にマラーターに捕縛され、廃位された〔Delhi 12 〕。
1790年、ジャハーン・シャーはシャー・アーラム2世の命により処刑された〔Delhi 12 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャハーン・シャー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.