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ジャン=ルイ・ロワ(Jean-Louis Roy、1938年 - )は、スイスの映画監督である。セルジュ・ゲンスブールが音楽を提供し、出演した映画『''L'Inconnu de Shandigor''(シャンディゴールの見知らぬ男)』(日本未公開、1967年)の監督として知られる。 == 来歴・人物 == 1954年、わずか16歳のとき、ジュネーヴのフランス語テレビ局テレヴィジオン・スイス・ロマンド(TSR)に入り、撮影、編集を経て、1963年、25歳で演出家となる。 1968年7月17日、29歳のときの脚本・監督作『''L'Inconnu de Shandigor''(シャンディゴールの見知らぬ男)』(1967年)がフランスで公開される。マリー=フランス・ボワイエを主演に、音楽を担当した歌手のセルジュ・ゲンスブールも出演している。脚本家のガブリエル・アルーが脚本を書かずに製作し、出演もしたこのジェームズ・ボンドを髣髴させるスパイ映画は、1967年の第20回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された。 1968年、同局で出会った仲間のアラン・タネールとクロード・ゴレッタ、ミシェル・ステー、ジャン=ジャック・ラグランジュとともに「グループ5 ''Le Groupe 5''」を結成、映画を演出した。1929年生まればかりの同グループでは10歳近く年の離れた最年少であったが、その現場たたき上げのキャリアはだれよりも長かった。 1970年、同局らと「グループ5」が共同製作した、ロワの脚本・監督作『''Black Out''(ブラック・アウト)』は、第20回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品された。同作は、のちにレオス・カラックス監督の『ボーイ・ミーツ・ガール』をプロデュースすることになる脚本家のパトリシア・モラーズと共同で脚本を書いた。彼女はおなじスイスの映画監督フランシス・ロイセールの長篇デビュー作『''Vive la mort''』で前年の1969年にデビューしたばかりで、同年、アラン・タネール監督の長篇デビュー作『どうなったってシャルル』(1969年)に出演をしている。 TSR局内では、1972年から一貫してドキュメンタリー畑を歩み、2001年にはドキュメンタリー傑作選『''Portraits passion''』を企画し、2006年、定年退職した。根っからのテレビマンで映画は寡作とはいえ、日本ではまだ一本も商業公開されていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャン=ルイ・ロワ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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