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ジャン=ルイ・ヴェレ(Jean-Louis Véret 1927年 - )はフランスの建築家。 == 経歴 == 1927年パリに生まれる。 エコール・ナシオナル・デ・ボ-ザールにてルイ・アレシュ とジョルジュ・グロモールに師事。そこで出会ったピエール・リブーレおよびジェラール・テュルノエとともに、ミッシェル・エコシャールの指導のもと、1949-1950年にモロッコの都市計画ミッションに参加。彼らはひとつの協同プロジェクト(フェズ大学)によって1952年に学位を取得する。 ル・コルビュジエのアトリエに入所後、1952年に監理責任者としてアーメダバードの現場に派遣され、そこで1955年まで4つの実現作を含むル・コルビュジエの「ほとんどのプロジェクト」を担当する。その後はエコシャールのパリのアトリエでリブーレとテュルノエに合流、カラチ大学のプロジェクトに参加。 1958年11月にリブーレ、テュルノエそしてジャン・ルノディーとともに協同組合的工房アトリエ・ド・モンルージュを設立。同工房の実現作のうち、EDF(フランス電力公社)のイヴリ=スュル=セーヌの職員住宅(1967)、オルレアン事務所(1968)およびレ・ミュローの研修センター(1974)の設計に寄与。これら三作品はそれぞれ(順に)ショーダン邸、繊維業者協会会館そしてサラバイ邸を連想させる特徴(内外空間の複雑な相互貫入、ブリーズ-ソレイユ、煉瓦の使用等)をもっている。1968年にルノディーが、次いで1979年にリブーレが退所した後、ヴェレとテュルノエはアトリエの自主解散を決める。 1981年に自分の事務所を設立して独立。 1984年にパリのシテ・ド・ラ・ミュジィークの設計競技でかつての同僚ヤニス・クセナキスの計画案に協力したが、クリスティアン・ド・ポルザンパルクに敗れる。 彼は多くの国有既存建築の修復等に関与しており、とくにサヴォワ邸の修復を担当したことで知られる。パリ=ラ・ヴィレットの国立高等建築学院で教えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャン=ルイ・ヴェレ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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