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ジュニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼ : ウィキペディア日本語版
ジュニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼ

ユニオ・ヴァレリオ・シピオーネ・ボルゲーゼJunio Valerio Scipione Borghese, 1906年6月6日 - 1974年8月26日)は、イタリア王国軍人貴族政治家第二次世界大戦中、イタリア王立海軍提督(潜水艦)として海軍の精鋭「デチマ・マス」師団と様々な特殊作戦を展開した。ベニート・ムッソリーニが再興したイタリア社会共和国(RSI)に参加するなど熱烈なファシスト民族主義者としても知られ、戦後はネオ・ファシズムイタリア社会運動と繋がりを持ち、クーデター未遂事件(ロッジP2事件)などの暗躍を続けたと言われる。
==来歴==

=== 生い立ち ===
ユニオ・ヴァレリオ・シピオーネ・ゲッツォ・マルカントニオ・マリーア・デイ・プリンチピ・ボルゲーゼ(Junio Valerio Scipione Ghezzo Marcantonio Maria dei principi Borghese)は、イタリア王国きっての名門貴族ボルゲーゼ家の一族として1906年6月6日に生を受けた。父はボルゲーゼを、中世イタリアのシエーナに起源を持つこの古い家柄に恥じない教育を行うべく、幼い時に当時友好国であった大英帝国イングランド地方に留学させた。
1923年、17歳の時にファシスト政権下のイタリアに戻ったボルゲーゼは軍人になる事を希望してリヴォルノ王立海軍学校へ入学、潜水艦乗組員としての訓練を受けた。1929年、軍務教育を終了したボルゲーゼは乗員として数年間経験を積んだ後、1933年に潜水艦の艦長に昇進を果たした。1935年、祖国イタリアがエチオピア帝国宣戦布告して第二次エチオピア戦争が勃発すると、ボルゲーゼも遠征艦隊の一翼を担ってペルラ級潜水艦7番艦「イリデ」に乗艦して出征した。
続いて同じファシストを標榜するフランシスコ・フランコ政権を助力するべくスペイン内戦への介入が始まり、ボルゲーゼの潜水艦も商船への攻撃に従事した。この際、イギリスの駆逐艦ハヴォックの攻撃を受けたが、2名の乗員を失いつつも回避に成功している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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