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ジュリア・ウォード・ハウ : ウィキペディア日本語版
ジュリア・ウォード・ハウ

ジュリア・ウォード・ハウJulia Ward Howe1819年5月27日 - 1910年10月17日)はアメリカ合衆国の著名な奴隷制度廃止運動家政治活動家リパブリック讃歌作詞者として有名な詩人でもある。
==来歴==

===生い立ちと家系===
ジュリア・ウォードは父サミュエル・ウォード(1786年5月1日 - 1839年11月27日)と母ジュリア・ラッシュ・カトラーの7人の子供の内、第4子としてニューヨーク市で生まれた。兄弟の1人にサミュエル・カトラー・ウォード ''(Samuel Cutler Ward)'' がいた。父親は裕福な銀行家だった。母親は彼女が5歳の時に他界した。幼少からイタリア語、フランス語、ドイツ語、ギリシア語と多くの言語を学んだ。
彼女の父方の祖父母は大陸軍の中佐サミュエル・ウォード(1756年11月17日 - 1832年8月16日)とフィービー・グリーン(1828年10月11日に死去)、母方の祖父母はベンジャミン・クラークとサラ・ミッチェル・カトラーである。
父方の祖父サミュエル・ウォード中佐は、ロードアイランド州の総督で、後に大陸会議の代表となったサミュエル・ウォード(1725年5月27日 - 1776年3月26日)とアンナ・レイ(1770年12月3日没)の息子である。父方の祖母フィービー・グリーンはロードアイランド州知事ウィリアム・グリーン (''William Greene''、1731年8月16日 - 1809年11月30日)とキャサリン・レイの娘であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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