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ジョアキン・アゴスティーニョ : ウィキペディア日本語版
ジョアキン・アゴスティーニョ
ジョアキン・フェルナンデス・アゴスティーニョ(Joaquim Fernandes Agostinho、1942年4月7日-1984年5月10日)は、ポルトガルの元自転車競技選手。
== 経歴 ==
ヴォルタ・ア・ポルトガル総合3連覇(1970年1972年)、国内選手権・個人ロードレース6連覇(1968年1973年)、ポルトガル最優秀自転車選手賞10回を受賞した、今でもポルトガルを代表する名選手。
ツール・ド・フランス1969年に初出場し、通算8回の総合ベスト10入りを果たす。1978年1979年にはいずれも総合3位に入り、79年のツールでは、ラルプ・デュエズの区間を制している。ブエルタ・ア・エスパーニャでは3回総合ベスト10入りを果たし、とりわけ1974年の大会では終盤に猛追。最終ステージの個人タイムトライアルを制するなどして、ホセ・マヌエル・フエンテを最後まで追い詰めたが、わずか11秒差及ばず総合2位となった。なお、1977年ツール・ド・フランスでは第18ステージで勝利しながらもドーピング違反により区間記録を剥奪され、総合時間も所要時間プラス10分間の罰則処分を受けた。
1984年、ポルトガル南部のアルガルヴェで開催されたヴォルタ・アン・アルガルヴェのレース中、コースに現れた犬とぶつかり、バランスを崩して転倒。頭部を強打し、意識不明となった。そのとき、アゴスティーニョはヘルメット等の頭部防備品は着用していなかった。一時は回復の兆候を見せたものの、5月10日脳内出血のため他界した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョアキン・アゴスティーニョ」の詳細全文を読む



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