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ジョシュア・ミルトン・ブライ(Joshua Milton Blahyi、1971年9月30日 - )は、リベリアの軍人、虐殺者。1990年代半ばの第一次リベリア内戦時、ルーズベルト・ジョンソン派に属し殺戮を繰り返した。常に全裸で前線に立ったことから、お尻丸出し将軍(General Butt Naked)の名で知られる。内戦前は部族の司祭であり、内戦終了後は説教師に戻った。 ブライは1971年9月30日に生れた。彼はクル人のサブグループであるサポ人に属していた。リベリア内戦が始まると、ブライはクラン人を中心とする一派であるルーズベルト・ジョンソン率いるULIMOジョンソン派(ULIMO-J、-Johnson faction)に所属し、各地でチャールズ・テーラーやプリンス・ジョンソンの軍と戦闘を行った。ブライは全裸が銃弾を跳ね返す呪力をもたらすと信じ、銃と靴以外なにも身につけないままで戦った。彼は少年兵の部隊を率いていたが、彼の率いる部隊もその呪力を信じて彼と同じ格好で戦い、または呪力を身につけるため女性用のカツラをかぶり女装して戦闘に臨んだ。彼の部隊はドラッグや酒で常に正気を失った状態であり、全裸や女装によって恐怖心を麻痺させ、民間人から略奪を行い、切り取った首をサッカーボールのようにして遊んだ。その奇矯さと残酷さから彼の全裸部隊は知られるようになり、ブライはお尻丸出し将軍(General Butt Naked)のあだ名で呼ばれるようになった。ブライは通常、戦闘の前に何人かの小さな子供を人身御供とし、その新鮮な生き血を悪魔に捧げた。2008年1月の発言では、ブライは無垢な子供の心臓を取り出し、分けて自分たちで食べたという〔Jonathan Paye-Layleh (January 22, 2008) "I ate children's hearts, ex-rebel says" BBC.com〕。 ブライの戦闘は、リベリア内戦が終わりに近づいた1996年に終わった。ブライのいうところによると、「まばゆい光とともに神が顕現し、罪を悔い改めない限り死ぬだろうと告げた」という〔Edna Fernandes (November 28, 2010) "Face to face with General Butt Naked - 'the most evil man in the world'" Daily Mail 〕1997年、ブライはガーナの難民キャンプを訪れ、そこで新生し、説教師となった。説教の途中、彼はかつての被害者に会うこともあり、とても悪いとは思うが、かつての自分は悪魔に取り付かれていたのであり責任は取れないと主張している〔Tina Susman (August 4, 1997). Liberia's Fierce Butt Naked General Now Preaches Peace. Seattle Post-Intelligencer〕。 彼は戦争犯罪の裁きを受けるためハーグの国際戦犯法廷に出廷する意志があることを表明している〔Edna Fernandes (November 28, 2010) "Face to face with General Butt Naked - 'the most evil man in the world'" Daily Mail 〕。 2008年1月、ブライはガーナからリベリアに戻って真実和解委員会に出廷し、1980年代から1996年までの間に20000人の死にかかわったと証言した.〔Associated Press (January 21, 2008) "Ex-warlord confesses to 20,000 deaths" CNN.com〕。真実和解委員会はこの数字を受け入れたものの、リベリアの情報大臣であるNorris Tweahは、ブライはより多くの死に責任があると述べた〔Edna Fernandes (November 28, 2010) "Face to face with General Butt Naked - 'the most evil man in the world'" Daily Mail 〕。 ==脚注== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョシュア・ブライ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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