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ジョゼフ・F・エンライト : ウィキペディア日本語版
ジョゼフ・F・エンライト[じょぜふえふえんらいと]

ジョゼフ・フランシス・エンライトJoseph Francis Enright, 1910年9月18日-2000年7月20日)〔Joseph Enright, 89, Dies; Sank WWII Carrier 〕は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は大佐
1944年11月29日、潜水艦アーチャーフィッシュ (''USS Archer-fish, SS-311'') の艦長として日本海軍航空母艦信濃を撃沈し、アーチャーフィッシュに「第二次世界大戦でもっとも大きな艦船を撃沈した潜水艦」の栄誉をもたらした〔#Wilson, Callop.98〕。
== 生涯 ==

===「デイス」艦長まで===
ジョゼフ・フランシス・エンライトは1910年9月18日、ノースダコタ州マイノットに生まれる。1933年に海軍兵学校(アナポリス)を卒業。卒業年次から「アナポリス1933年組」と呼称されたこの世代からは、クイーンフィッシュ (''USS Queenfish, SS-393'') 艦長で阿波丸事件の一方の当事者チャールズ・E・ラフリンハリバット (''USS Halibut, SS-232'') 艦長を経て大将に登りつめたなどがいる。卒業後は戦艦メリーランド (''USS Maryland, BB-46'') に3年間乗り組んだ後、1936年以降は潜水艦に転じた〔。潜水艦 (''USS S-22, SS-127'') 乗り組みを経て、第二次世界大戦勃発後の1942年6月22日、エンライトは潜水艦 (''USS O-10, SS-71'') で最初の艦長職を務めた〔#エンライトp.30〕。
1943年7月23日、少佐に昇進したエンライトは、この日竣工した潜水艦デイス (''USS Dace, SS-247'') の艦長に就任する。「アナポリス1933年組」で潜水艦に進んだ者の中で艦長に就くのは、エンライトが初めてだった〔#エンライトp.31〕。デイスはニューロンドンを9月7日に出港し、10月3日に真珠湾に到着したデイスは、10月20日に最初の哨戒で日本近海に向かった。哨戒では何隻かの日本側艦船を発見して攻撃を行ったが目立った戦果はなかった。また当時、デイスが向かった海域を「空母翔鶴が通過する」という情報があり、デイスを含めた所在の潜水艦に翔鶴を仕留めるよう指令が出ていた〔#木俣敵潜1989pp.235-236〕。ところが、エンライトは自分の直感を抑えて規則に従った結果、結果的に翔鶴を逃す結果となった〔#エンライトp.32,49〕。実際に11月15日にの地点で件の翔鶴と3隻の駆逐艦を発見したものの、ただ「発見した」というだけに留まった〔#SS-247, USS DACE, Part 1p.26,34〕〔#Newpowerp.186〕。11月19日午後、デイスはの地点で輸送船、タンカー、哨戒艇を相次いで発見〔#SS-247, USS DACE, Part 1p.27,34〕。しかし、哨戒艇の先制攻撃を受け、14発に及ぶ爆雷攻撃で艦尾発射管室のバルブが損傷するなどの被害を受けた〔#SS-247, USS DACE, Part 1p.28〕〔#木俣敵潜1989p.236では、この輸送船団は特設潜水母艦平安丸」(日本郵船、11,616トン)を含んだ第3115船団で、デイスは護衛の海防艦隠岐から反撃され、エビの大群に入って何とか逃亡したという意味のことが書いてある。当該船団が潜水艦と接触して隠岐が制圧したのは事実だが、その位置はの地点である(#二護1811p.28)。〕。12月11日、デイスは49日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
エンライトは司令部に報告のため出頭した。報告は「自分は艦もスタッフも担当海域も、あらゆる優れたものに恵まれた」で始まり、「今回の哨戒任務が不作だったのは自分の責任ですから」と、自ら自分をデスクワークに廻してくれるよう要請、これが潜水部隊司令官チャールズ・A・ロックウッド中将(アナポリス1912年組)に受理され、エンライトは12月28日付でミッドウェー島の潜水艦救護隊隊長に転じた〔#エンライトp.49〕。エンライトは3日後の1944年1月1日付で中佐に昇進し、ミッドウェー島の潜水艦基地の副司令にも就いた〔。自らを責めて艦長の座を辞したエンライトだったが、再び艦長に就く機会が訪れる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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