翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョナサン・ウェインライト
・ ジョナサン・ウェルズ
・ ジョナサン・ウェーンライト
・ ジョナサン・ウッドゲイト
・ ジョナサン・ウッドゲート
・ ジョナサン・ウルフ
・ ジョナサン・ウルフ (哲学者)
・ ジョナサン・エドワーズ
・ ジョナサン・エドワーズ (神学者)
・ ジョナサン・エドワーズ (陸上選手)
ジョナサン・エルリック
・ ジョナサン・カサー
・ ジョナサン・カプラン
・ ジョナサン・カーティス
・ ジョナサン・カーネイ
・ ジョナサン・キャロル
・ ジョナサン・キャントウェル
・ ジョナサン・キー
・ ジョナサン・ギルバート
・ ジョナサン・クリーク


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョナサン・エルリック : ウィキペディア日本語版
ジョナサン・エルリック

ジョナサン・ダリオ・エルリックヘブライ語:, Jonathan Dario Erlich, 1977年4月5日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身のイスラエルの男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとしてよく知られ、2008年全豪オープン男子ダブルスで同じイスラエルのアンディ・ラムとペアを組んで優勝した。彼は普段からシングルスにはほとんど出場せず、ダブルスのみに活動を絞っている。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで2008年全豪オープンを含む17勝を挙げている。ATP自己最高ランキングはシングルス292位、ダブルス5位。身長180cm、体重78kg、右利き。
== 来歴 ==
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでアルゼンチン系ユダヤ人の両親の長男として生まれたエルリックは1歳の時にイスラエルハイファに移住し、後にイスラエルに帰化。3歳からテニスを始め、7歳で初めてのトーナメントに出場した。少年時代はテニスと並んでサッカーもプレーしていたが、12歳の時に職業としてテニスを選択した。ジュニア時代はITFジュニアサーキットへの出場はあまり無かったが、唯一のグランドスラムジュニア参加大会となった1994年ウィンブルドン選手権では男子ジュニアダブルス部門でベスト8の成績を残している。1996年にプロ入り。2000年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップイスラエル代表選手になり、2001年後半からダブルスでアンディ・ラムとペアを組み始めた。2003年から、エルリックとラムのペアは男子ツアーのダブルスで成績を伸ばし始め、ウィンブルドン男子ダブルスでヨナス・ビョークマン&トッド・ウッドブリッジ組との準決勝に進んだ。2人は2004年アテネ五輪の男子ダブルスにも第8シードイスラエル代表選手として出場し、ドイツ代表のニコラス・キーファー&ライナー・シュットラー組との準々決勝まで進出した。2005年全米オープン男子ダブルスでベスト8進出がある。
2006年、ジョナサン・エルリックはラムとのダブルスで年間4勝を挙げ、世界ランキング上位8組のみに出場資格が与えられる男子ツアー年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」のダブルスにも初出場を果たす。2007年8月、エルリックはラムとともに「ユダヤ人スポーツ財団」を設立した。9月20日-23日にデビスカップの「ワールドグループ・プレーオフ」が行われ、イスラエルはチリを「3勝2敗」で破り、世界最上位16ヶ国からなる「ワールドグループ」昇格を決めた。デビスカップでは、イスラエルは「ヨーロッパ・アフリカゾーン」に振り分けられ、ワールドグループでのプレーは1994年以来となる。
2008年全豪オープン男子ダブルスで、ジョナサン・エルリックとアンディ・ラムは第8シードから初の決勝戦に勝ち上がり、フランスペアのアルノー・クレマン&ミカエル・ロドラ組を 7-5, 7-6 のストレートで破って初優勝した。2008年2月8日-10日のデビスカップ・ワールドグループ1回戦で、イスラエルはスウェーデンと対戦した。エルリックとラムは第3試合のダブルス戦に順当勝ちしたが、2勝2敗で迎えた最終第5試合のシングルス戦でイスラエル・チームのハレル・レビがスウェーデン代表のヨナス・ビョルクマンに敗れたため、イスラエルはスウェーデンに2勝3敗で敗れた。9月のワールドグループ・プレーオフではペルーに4勝1敗で勝ち、ワールドグループ残留を決めた。またラムとは2008年北京五輪でもダブルスでペアを組み、第3シードのイスラエル代表として2大会連続出場を果たしたが、1回戦でアルノー・クレマン&ミカエル・ロドラ組(フランス)に 4-6, 4-6 のストレートで敗れた。9月には右肘を痛め為ツアーを離脱し手術を行い、翌2009年4月第4週のチャレンジャー大会エーゲ・テニスカップで復帰。同年9月にはダブルスランキングがツアー離脱前の6位タイから278位まで落ちる事もあったが、アルノー・クレマンと組みノーシードで出場した2010年全豪オープン男子ダブルス部門でネナド・ジモニッチセルビア)&ダニエル・ネスターカナダ)組との準々決勝まで進出する好成績を収め、この活躍もあり翌2月15日付のATPダブルスランクでトップ100復帰を果たしている。
2012年7月のロンドン五輪で3度目のオリンピックに出場した。2回戦では前回金メダルを獲得したスイスロジャー・フェデラー&スタニスラス・ワウリンカ組に 1-6, 7-6(5), 6-3 で勝利しベスト8に進出した。準々決勝ではアメリカボブマイクのブライアン兄弟組に 6-7(4), 6-7(10) で敗れた。9月のデビスカップワールドグループのプレーオフでは日本と対戦しイスラエルは3勝2敗で勝利し3年ぶりのワールドグループ復帰を果たした。
エルリックは普段からシングルスにはほとんど出場せず、4大大会の男子シングルスには予選も含め1度も出場記録が無い。2010年2月時点での最後のATPツアーシングルス出場は2007年10月のリヨン・グランプリ予選1回戦でヤロスラフ・レビンスキーチェコ)に 6-4, 3-6, 6-7(5) のフルセットで敗れた試合が最後となっている。またツアーシングルス通算成績の点で見ても、わずか6勝6敗に留まっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョナサン・エルリック」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.