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ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell、1943年11月7日 - )は、カナダのミュージシャン、画家。本名はロバータ・ジョーン・アンダーソン(Roberta Joan Anderson)。1997年にロックの殿堂入り。1969年から2007年にかけて、グラミー賞を9回受賞している。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第72位、2011年の改訂版では第75位。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第42位。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第62位。 「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第36位。 ==プロフィール== カナダ・アルバータ州の生まれ。母はスコットランド及びアイルランド系で、父はノルウェー系であった。1960年代にトロントでフォーク歌手として音楽活動を開始。その後アメリカ・ニューヨークに移り、1968年にデビュー。1969年、セカンド・アルバム『青春の光と影』の成功により、その名が広く知られるようになった。 1970年のアルバム『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』は、映画『いちご白書』の主題歌としてバフィ・セント=マリーに歌われた「サークル・ゲーム」のセルフ・カバーを収録し、同アルバムが全英8位を記録してからは、イギリスでも安定した人気を保つようになる。続く1971年のアルバム『ブルー』は名盤として評価が高く、2003年、ローリング・ストーン誌の大規模なアンケートによるオールタイム・ベストアルバム500において、女性ソロ・アーティスト最高位の30位に選ばれた。作曲者としてはCSN&Yの「ウッドストック」や、ジュディ・コリンズの「青春の光と影」の作者として評価が高い。1974年には「ヘルプ・ミー」がヒットした。またジャズ・ミュージシャンのチャールズ・ミンガスとの交際も音楽界ではよく知られていた。1970年代後半には、ラリー・カールトンやジャコ・パストリアス、ウェイン・ショーターなどのジャズ、クロスオーバー系のミュージシャンとも共演した。 2007年、ハービー・ハンコックがジョニに捧げたアルバム『リヴァー〜ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』で、ジョニ本人もゲスト・ボーカリストとして参加。同アルバムはグラミー賞最優秀アルバム賞を獲得した。 音楽だけでなく、多彩な芸術家として写真や絵画など多方面で活動しており、自らCDジャケットをデザインしたアルバムが、グラミー賞のベストアルバムパッケージ部門を受賞したほか、個展などでもその才能を遺憾なく発揮している。 近年はモルジェロンズ病という難病を患い、闘病中という〔Joni Mitchell Talks about Her Battle with Morgellons Disease 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョニ・ミッチェル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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