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ジョン・アタナソフ : ウィキペディア日本語版
ジョン・アタナソフ

ジョン・ヴィンセント・アタナソフ(John Vincent Atanasoff、Джон Винсент Атанасов、1903年10月4日 - 1995年6月15日)は、ブルガリア人の家系に生まれたアメリカ人物理学者
ブルガリア人移民の息子として電気工学者となり、大学教授、戦時中の政府の研究所長、企業の研究開発担当重役などを歴任した。アタナソフ&ベリー・コンピュータ発明者・開発者であり、同機は後に1973年の、スペリーランドが持つENIAC由来の特許にまつわるハネウェルとの訴訟で、ENIACよりも先行していた点がいくつか認定されたという点が喧伝され有名になった。
== 学生時代まで ==
父イワン・アタナソフは1876年、オスマン帝国統治下のブルガリアで生まれた。父が生まれて間もなく、父の父つまりアタナソフの祖父が4月蜂起(1876年)の後でトルコ兵に殺されている〔Atanasoff, J.V. ''The Beginning''. Sofia: Narodna Mladezh Publishers, 1985. (1984年の論文のブルガリア語版) 英語の序文 〕。1889年、父は叔父に連れられてアメリカ合衆国に移住した。
そして電気技師となった父と、数学の教師ジョン・アタナソフの子として、ニューヨーク州ハミルトン(en)で、アタナソフが生まれた。
フロリダ州 ブリュースター(Brewster) で育つ。9歳のとき計算尺の使い方を覚え、すぐに対数も勉強し、2年で高校を卒業。1925年フロリダ大学を優秀な成績で卒業し、電気工学の学士号を得た。
その後、アイオワ州立大学に進学し、1926年数学の修士号を取得した。1930年ウィスコンシン大学マディソン校理論物理学の博士号を取得した。学位論文のテーマは ''The Dielectric Constant of Helium''(ヘリウムの誘電率)。卒業後はアイオワ州立大学で数学と物理学の助教授の職を得た。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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