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ジョン・ウィルクス(John Wilkes、1725年10月17日 - 1797年12月26日)は、イギリスの急進的なジャーナリストで政治家。ロンドン市長も務めた。 ==出生と人となり== ウィルクスは、ウィスキー醸造業者イズライル・ウィルクスの6人の子供の次男として、ロンドンに生まれた。ライデン大学、ハートフォード・カレッジ、私立学校などに学んだ後、1747年にメアリー・ミードと結婚して家産を継ぎ、バッキンガムシャーに住居を落ち着けた。ウィルクスは一人娘のポリーを溺愛したが、妻とは1756年に別居し、そのまま婚姻関係を解消した。ウィルクスは再婚はしなかったが、放縦な女性関係で知られ、少なくとも他に2人の子があった。その例として、悪名高い地獄の火クラブの会員でもあったが、後にウィルクスはクラブの放蕩三昧を新聞紙上で糾弾し、クラブを解散に追い込んでいる。クラブの会員にはサンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー、フランシス・ダッシュウッド、ウィリアム・ホガースら錚々たる名士が名を連ねていた。 ウィルクスは当代一の悪相と囃され、ひどいやぶにらみと長いあごをしていたが、それを帳消しにする何とも言えない愛嬌があった。「俺と30分も過ごせば、女にはご面相のことなんざどうでもよくなるのさ」とウィルクスはよく嘯いたが、女性を振り向かせるまでの時間は、自慢話のたびに少し変わっていた。彼は「この顔のせいで恋敵にただでひと月ハンデをやるようなもんだ」とも言ったことがある。 彼は機知に富み口がうまく、悪口に絶妙のお返しをすることでも知られていた。たとえば、かつては地獄の火クラブの仲間であったサンドウィッチ伯に「ウィルクス、お前なんか絞首台でも天然痘でもくたばるがいい」と罵られたウィルクスは、「閣下、そのどちらになるかは、閣下の裁きを受け入れるのが先か、閣下の恋人を抱擁するのが先か次第です」と切り返した(英語のembraceのダブルミーニングによる駄洒落である)。「あなたを選ぶくらいなら悪魔に一票投じますね」ある選挙人に冷たく言われたウィルクスは、「そうでしょうね」と頷いてから言った。「で、あなたのお友達が(悪魔なんでしょ?)もし選挙に立たないことになったら、私に票を回していただけるんですよね」。 アメリカ独立戦争では、ウィルクスは政府の対アメリカ政策を糾弾した。その一方で、犯罪には厳罰で臨むことを熱心に主張し、年をとるにしたがって、保守的になった。急進主義者はそんなウィルクスに失望し、ウィルクスは1790年のミドルセックスでの統一選挙に敗北した。1790年代には政治活動から身を退き、急進主義運動にも加担していない。1797年12月29日に死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ウィルクス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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