翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョン・ウェッテランド
・ ジョン・ウェットン
・ ジョン・ウェブスター
・ ジョン・ウェルシュ
・ ジョン・ウェルシュ (ラグビー選手)
・ ジョン・ウェルシュ (外交官)
・ ジョン・ウェルシュ (長老派教会)
・ ジョン・ウェルスマン
・ ジョン・ウェルズ
・ ジョン・ウェルボーン・ルート
ジョン・ウェンデル・ホームズ
・ ジョン・ウェーバー
・ ジョン・ウェーバー (ピアニスト)
・ ジョン・ウエスト
・ ジョン・ウエスレー
・ ジョン・ウエルシュ
・ ジョン・ウエルタス
・ ジョン・ウォリス
・ ジョン・ウォルシュ
・ ジョン・ウォルターズ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョン・ウェンデル・ホームズ : ウィキペディア日本語版
ジョン・ウェンデル・ホームズ
ジョン・ウェンデル・ホームズ (John Wendell Holms、1910年6月18日 - 1988年8月13日)は、カナダ外交官学者である。
==生涯==
オンタリオ州ロンドンに生まれたホームズはウェスタンオンタリオ大学に入学し、その後トロント大学修士号を得た。1933年から38年にかけてはピカリング・カレッジで英語の教師を務めた。1938年から40年にはロンドン大学で学び、43年には臨時の戦時助手として外務省に入った 。
1947年から48年には駐ソ連臨時代理大使となった。1950年には国連のカナダ代表代理に任命された。1953年には外務次官補になり、60年に退職するまでその地位にあった。1960年からカナダ国際問題研究所の所長をつとめ、65年からはより実務的な事務総長に異動した。この研究所は国際問題を議論、分析するための、党派に偏しない、非営利、非政府の団体である。
ホームズは連邦警察によって同性愛者として攻撃された何百人もの官僚のうちのひとりであった。こうした魔女狩りはとくに1959年に沸騰し、60年代を通じて多くの人の人生やキャリア、家族を台無しにした〔 Chapnick, Adam, ''Canada's voice: the public life of John Wendell Holmes'', Vancouver: UBC Press, 2009.〕。
1971年から81年にはオタワ近郊にあるヨーク大学グレンドン・カレッジの国際関係論教授となった。1967年から亡くなるまではトロント大学の客員教授も務めた。彼はまた1979年から85年までイギリスにあるリーズ大学歴史学の客員教授でもあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・ウェンデル・ホームズ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.