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ジョン・オーブリー
ジョン・オーブリー(John Aubrey、1626年3月12日 - 1697年6月7日)はイングランドの好古家(antiquarian、分かりやすく言えば古代史/考古学ファン)で作家。 ''Brief Lives'' (『名士小伝』)と呼ばれる伝記短編集の作者として有名であり、ストーンヘンジに後にオーブリーホールと呼ばれることになる穴があることを発見したことでも知られている。 == 来歴 == ウィルトシャーのマームズベリー近郊で、比較的裕福な家庭に生まれた。祖父アイザック・ライトはサマセットにある Lytes Cary というマナー・ハウスに住んでいたが、そこは今ではナショナルトラストの所有になっている。父リチャード・オーブリーはウィルトシャーとヘレフォードシャーに土地を所有していた。一人っ子で、幼いころは小学校に通わずに自宅で家庭教師から学んだため、孤独に育った。父は学問よりもスポーツを好む人だった。そこでフランシス・ベーコンの随筆など、手に入った本を読み漁り、こっそりと幾何学を勉強した。マームズベリーのグラマースクールではロバート・ラティマーに学んだ。ラティマーのかつての教え子にトマス・ホッブズがおり、オーブリーはラティマーの家でこの哲学者と出会った。彼は後にホッブズの伝記も書くこととなる。その後ドーセットの Blandford Forum のグラマースクールでも学んだ。1642年、オックスフォード大学トリニティ・カレッジに入学したが、イングランド内戦で学業を中断された。好古家としての活動は、このオックスフォード時代に始まった。1646年、ミドル・テンプルの学生となる。1647年、トリニティではオックスフォードの同世代人の友人を多数作り、本を収集するなど、楽しく過ごした。1649年、エイヴバリーの巨石遺跡を「発見」し、後に好古家として書いた重要な著作 ''Monumenta Britannica'' の中でその地図を掲載し、考察を加えている。1663年には、チャールズ2世の要請に応じてエイヴバリーを案内した。1652年、父が亡くなると多額の遺産を相続したが、同時にいくつかの複雑な債務も相続することになった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・オーブリー」の詳細全文を読む
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