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ジョン・フィリップ・キー(John Philip Key、1961年8月9日 - )は、ニュージーランドの政治家。第11代ニュージーランド国民党党首。第38代ニュージーランド首相。元メリルリンチ外国為替部長。 == 来歴 == オークランドに生まれ、その後クライストチャーチで育つ。父は英国からの移民でスペイン内戦、第二次世界大戦に従軍した人物である。6歳のときに父が心臓病で死去。オーストリア系ユダヤ人の家系をもつ母親に育てられる。クライストチャーチの公営住宅で母と2人の姉妹と暮らす。バーンサイド高校(Burnside High School)を卒業後、カンタベリー大学商学・経済学部で会計学を専攻する。 ;為替取引人 大学卒業後は会計事務所監査役を経て、服飾工場レーン・ウォーカー・ラドキンに2年間勤務したのち、ウェリントンへ渡りエルダーズ・ファイナンスで為替取引人になる。その後、オークランドの投資金融機関バンカーズ・トラストに引き抜かれ7年間勤務したのち、1995年に米国系投資銀行メリルリンチに引き抜かれ移籍する。 ;メリルリンチ時代 メリルリンチアジア外国為替部長(シンガポール支社)、グローバル外国為替部長(ロンドン支社)、アジア太平洋外国為替部長(シドニー支社)を経て、連邦準備制度理事会外国為替委員会委員(1999年から2001年まで)を歴任。ハーバード大学で経営学を学ぶ(なお、ハーバード大学で学位は取得していない)。為替取引で巨額の利益を得た一方、1998年のロシア財政危機では巨額の損失を発生されたことからメリルリンチ従業員を大量解雇した。2001年シドニー支社在籍時には整理解雇で500人を解雇したといわれる。長年務めた従業員に対して情も見せず解雇する姿から“微笑みの暗殺者”と呼ばれた。メリルリンチ在籍時の年俸は500万NZドル(およそ3億5千万円、当時レート)、個人資産は5000万NZドル(およそ35億円、当時レート)ともいわれる。 ;政界進出 幼少期から金持ちになることと、政治家になることを夢に掲げ、ジョン・スラター(元ニュージーランド国民党会長)の要請を受け2001年にニュージーランドへ帰国する。ニュージーランド国民党に所属し2002年の総選挙にヘレンズビル地区より出馬し初当選を果たす。ドン・ブラッシュの側近として財務副報道官(その後財務報道官)に就任する。2005年の総選挙でも当選を果たす。2006年11月にブラッシュの辞任によりニュージーランド国民党党首に就任する。政治家に転身後わずか4年での党首就任は異例の事態であり、ブラッシュ同様政治経験のない人物への手腕が注目された。政治家に転身して6年目の2008年、総選挙でニュージーランド国民党は政権を奪還し第38代ニュージーランド首相に就任。 ;ニュージーランド首相 2009年8月、アメリカのオバマ政権からの要請で特殊空挺部隊を、アフガニスタンに派遣する意向を示した。 首相就任後、2009年10月にブレディスローカップ東京開催の視察を兼ねて日本を訪問。同年10月28日に今上天皇に謁見、同年10月29日に鳩山由紀夫内閣総理大臣(当時)と首脳会談を行った。2012年ロシアAPEC首脳会議に参加した帰路、日本を訪問(同年9月9日から12日)。同年9月10日に宮城県七ヶ浜町を訪問、同年9月11日に野田佳彦首相と首脳会談を行った。 政治家としての人気は高く、2011年(2期目)、2014年(3期目)の総選挙で圧勝。 日本のTPP加盟とFTA締結を促している。日本の南太平洋での調査捕鯨に関しては外交的解決を求めるとしている。 ニュージーランド国旗変更国民投票を行う。 外交政策では中国、韓国との貿易拡大を重視している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・キー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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