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ジョン・クリアリー(Jon Cleary, 1962年8月11日〔"Jon Cleary and the Absolute Monster Gentlemen" by Blue Mountain Artists 〕 - )は、米国ルイジアナ州ニューオーリンズを拠点に活動するシンガー兼ピアニスト。イギリス出身だが17歳のとき渡米。今では、ニューオーリンズを代表するピアニストの一人として知られている。プロフェッサー・ロングヘアらのニューオーリンズR&Bを影響を色濃く受けながらも、ファンク、ラテンなど幅広い音楽的要素を取り入れたサウンドが特長。ボニー・レイットのバンド・メンバーとしてツアーとレコーディングに参加したことでも知られている。 == 来歴 == 1962年、ロンドンの北部に生まれる。父親や伯父、祖母、祖父が歌手またはミュージシャンという音楽的な家系だった〔。5歳でギターを手にし、15歳で初めてのバンドを結成する〔AllmusicのJon Clearyバイオ 〕。 1980年、17歳の時に渡米する。ニューオーリンズの著名なクラブ、メイプル・リーフ・バーでペンキ塗りの仕事をする傍ら、音楽活動をするようになった〔〔。ニューオーリンズでピアノの魅力に取り憑かれたクリアリーは、本格的にピアノに取り組むようになった〔。 ニューオーリンズでは、ウォルター"ウルフマン"ワシントン、スヌークス・イーグリン、アーニー・ケイドー、ジョン・ムーニーなどのミュージシャンたちとの共演を重ねた〔。1992年には、ダーウィン"ビッグD"パーキンズ(gt.)、コーネル・ウィリアムズ(b.)、ジェフリー"ジェリービーン"アレクサンダーをメンバーとした自身のバンド、アブソリュート・モンスター・ジェントルメンを結成。バンド名はジョニー・"ギター"・ワトソンの曲名から取られている。1994年には、ニューオーリンズのミュージシャンたちをバックにレコーディングされたソロ・デビュー作''Alligator Lips & Dirty Rice''をリリースした。 ビザの問題から出国を余儀なくされたクリアリーは、この後一時的にイギリスに拠点を移したが〔、1995年にはニューオーリンズに戻っている〔。この頃、クリアリーはタジ・マハールのツアーに参加。続いて、ボニー・レイットからも声がかかり、彼女のバンドに迎え入れられた。ツアーに同行し彼女の2002年のアルバム''Silver Lining''にも参加した。 1999年には、メジャー・レーベルヴァージン/ポイントブランクよりセカンド・アルバム''Moonburn''をリリース。続いて地元ニューオーリンズのレーベル、ベイシン・ストリートより2枚のアルバムを発表するなど、順調に作品をリリースしていった。 2008年には自主制作による初のライヴ・アルバム''Mo Hippa''をリリース。同年秋には、アブソリュート・モンスター・ジェントルメンとしての初となる日本ツアーのために来日し、横浜、東京、名古屋、大阪の4都市で公演を行った〔Buffalo Records: ジョン・クレアリー待望のジャパンツアー決定! 〕。 また同年、ジョン・スコフィールドの新バンド、パイティ・ストリート・バンドに参加。翌2009年、アルバム''Piety Street''がリリースとなった。このバンドはニューオーリンズのミュージシャンが中心となったもので、アルバムには他ジョージ・ポーターJr.、ジョン・ブッテらが参加している。2009年9月、クリアリーは同バンドとともに再来日を果たした〔John Scofield tour dates 〕。 2012年、アラン・トゥーサンの曲のカバー集「オカペラ」をリリース。翌2013年には5月、9月と相次いで来日公演を行った〔Buffalo Records ジョン・クレアリー来日! 〕。 2016年、アルバム''Go Go Juice''で初のグラミー賞を受賞した(リージョナル・ルーツ・ミュージック・アルバム)〔Grammys Past Winner Search 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・クリアリー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jon Cleary (musician) 」があります。 スポンサード リンク
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