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ジョン・ケイド(John Frederick Joseph Cade, 1912年1月18日 - 1980年11月16日)は、オーストラリアの医学者、精神科医。 == 経歴 == ケイドは1912年にオーストラリアのビクトリア州に、医者デイヴィッド・ダンカン・ケイドの息子として生まれた。父親のデイヴィッドは第一次世界大戦中は軍医として働き、DSO(Distinguished Service Order)勲章を得ている。 ケイドはメルボルンのスコッチカレッジとメルボルン大学に学び、医学博士号を取得した後、聖ヴィンセント病院、王立小児病院に勤務した。1936年に政府の精神衛生局に入り、モントパーク精神病院の医師に任命された。 1937年11月1日には看護婦のエスタナ・エヴリン・ジャン・チャールズと結婚し、4男1女に恵まれた。 1935年に民兵としてオーストラリア軍の軍医大尉となり、1940年に外科医として野戦病院に配属となった。1941年の2月にシンガポールに派遣され、9月には少佐に昇格したが、1942年2月の日本軍によるシンガポール占領に伴い、1945年9月までの3年半に渡って、戦争捕虜としてチャンギ収容所に収容された。 1946年1月に退役となった後は、バンドーラ帰還兵病院の精神科の責任者となった。この病院の厨房での、彼のいい加減な実験から、躁うつ病に対するリチウムの画期的な効果が見出されることになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ケイド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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