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ジョン・サディナ : ウィキペディア日本語版
ジョン・サディナ

ジョン・サディナ(''John Sardinha''、1931年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ準州Territory of Hawaii)出身のプロ野球選手投手外野手)。
== 来歴・人物 ==
セントアントニー高校、ノンプロの地元球団・ハワイ朝日(チームメイトにディック・ディサがいた)を経て、に南海ホークスに入団。日系人以外で南海に入団した初の外国人投手でもあった。当時の南海監督だった、鶴岡一人は「半田君(カールトン半田。前年のに南海に入団)に 『ハワイにいい投手はいないか』というと、『サディナがいる。一番速い』という。半田君の紹介で入団した」と自伝で記している。
即戦力として期待され、1959年4月11日の開幕2戦目・大毎戦(大阪球場)でプロ初先発〔。そして初勝利を挙げた。オーバースローサイドスローアンダースローに近い投法まで、変幻自在だったと言われ、特に大毎,近鉄に強かった。一方で暴投も多く、1959年にはリーグ最多の7個を記録した。それでも1959年シーズンは10勝を挙げ(杉浦忠祓川正敏に次いで、チーム3番目の勝ち数〈皆川睦男とタイ〉だった〔年度別チームデータ検索・南海-1959年 〕。)、南海のリーグ優勝に貢献した。リーグ優勝決定後、東京都中野区にあった「中野ホテル」(南海が東京遠征の時に使用していた宿。現存せず)で優勝祝賀会をやったが、半田にビールをかけられたお返しに、半田や杉浦にビールをかけ、ついには鶴岡監督を巻き込んだどんちゃん騒ぎに発展した。このエピソードを踏まえ、半田と共にビールかけの元祖と呼ばれるようになった(詳細はビールかけを参照)。また、半田と共に選手たちにコーチの蔭山和夫柚木進胴上げしてユニホームのまま風呂に投げ込むことを提案して実行したことを、鶴岡が著書で記している〔鶴岡一人『南海ホークスとともに』(ベースボール・マガジン社、1962年)P307。〕。このようにムードメーカーとしてチーム内で人気があった。投手として出場しない日には、外野手として出場した事もあった。尚、同年の日本シリーズでは登板機会は無かった。
翌には杉浦の酷使(前年の1959年に38勝を挙げていた)を考えて、ジョー・スタンカの獲得を鶴岡監督に進言した。しかし、皮肉にもそれが仇となり、スタンカが南海の主戦投手として活躍する一方、自身は活躍の場を奪われる事となり、同年シーズン終了後に退団した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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