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ジョン・ジェラード : ウィキペディア日本語版
ジョン・ジェラード

ジョン・ジェラード(John Gerard 、1545 – 1611 | 1612)は、イギリス床屋外科植物学者である。床屋外科の傍ら趣味で庭師をしており、1597年の著書『本草書または植物の話』(''The Herball or Generall Hiftorie of Plantes.'')、通称「ジェラードの本草書」(Gerard's Herbal)で知られる。
ゴマノハグサ属の植物の総称にGerardiaという名前がつけられた。
==来歴==
ジェラードはナントウィッチ(Nantwich)に生まれ、この地で教育を受けた。教育を受けたのは、生涯でこの時だけだった。ロンドンで徒弟に入り、床屋外科となった。植物学に興味をもって独学で学び、ホルボーンの家の近くに庭園をつくり、植物を集めて栽培・研究した。新世界への航海を行ったウォルター・ローリーフランシス・ドレークと契約し、珍しい作物を集めたことでも知られる。ジェラードは、植物の知識を増やすために、船医になって世界を旅して学んだと主張しているが、実際は限られた場所にしか行っていない。おそらく一度、北海を渡る貿易船に、外科船医として雇われたことがあるのだろう。〔 Anna Pavord (2005):'' The Naming of Names'', p. 336.〕
1577年からエリザベス女王の顧問であったウィリアム・セシルに雇われ、彼の領地バーリー(Burghley)の庭園の責任者となり、1588年にはケンブリッジ大学に植物園の設立を提案した。
1596年に植物目録を出版し、このなかでカール・フォン・リンネにさきだって種の名称の多くを2つの単語で記述している。1597年に主著、『本草書または植物の話』(''The Herball or Generall Hiftorie of Plantes.'')を出版した。この本は不完全で、ほかの本からの盗用があるにもかかわらず、以降最も愛された英語の本草書となった。その剽窃にもかかわらず、当時栽培されていた植物を知るための有用な資料でもある。イギリスやヨーロッパの本草学の時代における代表的な著作であるとも評価されている〔『植物学史・植物文化史』大場秀章 著作選 I 第1部「植物学における知の体系化」八坂書房〕。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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