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ジョン・ストックトン
ジョン・ヒューストン・ストックトン(John Houston Stockton、1962年3月26日 - )は、アメリカ合衆国のワシントン州スポケーン出身の元バスケットボール選手。1980年代から引退までの19年間をNBAのユタ・ジャズでプレイし、歴代最多のアシスト記録、スティール記録を残した名ポイントガード。NBAでは少数派の白人スター選手だった。1992年と1996年のオリンピックで金メダル獲得。1996年にNBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」の一人に選ばれ、2009年9月11日にバスケットボール殿堂入りした〔。 == キャリア概観 ==
=== プロ入り前 === 少年時代から練習熱心で、早朝から練習が出来るようにと、体育館の鍵を学校職員ではなく彼が所持していたほどである。高校卒業後は地元のゴンザガ大学に進学し、4年生時には平均20.9得点、7.2アシストを記録している。当時はほとんど無名の存在ながら、一部ではその実力が認められており、1984年のロサンゼルスオリンピックの代表選考会にも呼ばれている(結果は落選)。ストックトン自身も「NBAなんて思わなかったしドラフトされるとは考えもしなかった」と言うように、1984年のNBAドラフトでは会場には呼ばれず(ドラフト指名されるような有力選手は会場に呼ばれる)、自宅のTVでドラフト中継を見ていた。ユタ・ジャズに1順目16位で指名を受けたストックトンは「あまりのことにどうすればいいか分からなかった」と衝撃を受け、電話をかけてきたドラフト中継の解説者に「世間ではブーイングではなくフーイング(who)だ」と言われたという〔WOWOW 『NBAドキュメンタリー 華の84年ドラフト 歴史に刻んだ伝説の黄金世代』〕。当時は「ゴンザガ大のストックトンか?ストックトン大のゴンザガか?」というジョークがあったほどで、ストックトンもゴンザガ大も無名であった〔『スマッシュ2月号増刊DUNK SHOOT』No.1、日本スポーツ企画出版社、1993年2月3日発行、18頁〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ストックトン」の詳細全文を読む
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