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ジョン・ロバート・ワルムスレィ・ストット(John Robert Walmsley Stott、1921年4月27日 - 2011年7月27日)は、英国国教会司祭。福音派運動の世界的なリーダーであった。イギリスキリスト者学生会(Intervarsity Christian Fellowship)を指導した。ローザンヌ誓約(The Lausanne Covenant)の起草委員長を務め、聖公会内の福音主義運動組織(The National Evangelical Aglican Congress in the UK)の指導者を務めた。聖書通読を推進している聖書同盟(Scripture Union)の責任者。福音的な文書出版の機関であるEvangelical Literature Trustの責任的立場を務め、世界宣教と福音主義運動の旗手として第三世界の諸教会の成長発展のために奉仕を行った。卓越した講解説教者としてまた、現代的なセンスをもった神学者として知られていた。 == 経歴 == * 1921年、ロンドンで貴族の内科医アーノルド・ストットとエミリー・ストットの間に生まれる。母はオール・ソールズ教会の近くのルター派の教会に通っていたが、父は不可知論者だった。 * 1929年、8歳から寄宿学校、オークレイ・ホールで学ぶ。 * 1935年、ラグビー校入学。 * 1939年、ラグビー校にいる間に、エリック・ナッシュの福音的な説教を聞いて深い感銘を受ける。それから、ナッシュに毎週手紙をかいて信仰生活の指導を仰ぐ。 * ケンブリッジ大学で学び、トリニティ・カレッジでフランス語と神学で最優秀の成績を納める。ケンブリッジの学生のクリスチャンの団体(Cambridge inter-collegiate Christian Union,CICCU)で活動する。英国国教会の牧師になるために、ケンブリッジ中のリドレー・ホール・セオロジカル・カレッジ(Ridley Hall Theological College)に転科する。 * 1945年、オール・ソールズ(All Souls)教会の副司祭になる。 * 1950年、教区司祭になる。 * 1959年、女王付牧師になる。 * 1974年、ローザンヌ世界伝道会議で発布した声明文「ローザンヌ誓約」の起草委員長を務める。この文書は福音派教会の「マグナ・カルタ(大憲章)」と評価されている。 * 1974年、第一回日本伝道会議のメインスピーカーになるため来日〔「今日における聖霊の働き」山口昇訳、いのちのことば社、1978年〕。 * 1989年、マニラで開かれた、第二回ローザンヌ世界伝道会議の中心的推進者を務める。 * 2007年、公のミニストリーからの引退を表明。しかし、オール・ソールズ教会の名誉牧師として残る。 * 2011年7月27日に召天〔John Stott: ‘gracious and kind’ Church Times 2011-07-29〕〔英福音伝道者ジョン・ストット氏死去、福音主義指導者らから哀悼メッセージ クリスチャン・トゥデイ 2011年7月28日閲覧〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ストット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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