|
ジョン・ダ・シルバ(John Da Silva、1934年6月11日 - )は、ニュージーランドの元プロレスラー。オークランド地方プケコへ出身。 先住民族マオリの血を引くベビーフェイスとして、1960年代後半から1970年代にかけてのニュージーランドのマット界を支えた〔。 == 来歴 == 1953年よりレスリングを始め、同年にウェリントンで行われたニュージーランド選手権ではエイブ・ジェイコブズ(アベ・ヤコブ)から勝利を収めている〔。ボクシングでも活躍し、1955年にオークランドのアマチュア・ヘビー級タイトルを獲得した〔。 1956年にはメルボルン・オリンピックにレスリングのニュージーランド代表として出場。1958年にはウェールズのカーディフで開催された大英帝国競技大会にも参加し、そのままイギリスに滞在してプロに転向した。 1960年代に入ると英連邦のカナダに進出、トロントでは1960年から1961年にかけて、フレッド・アトキンス、マイク・バレンティノ、スタン・スタージャック、そしてバディ・ロジャースとも対戦している。1961年4月はアメリカ合衆国本土を含む他地区も精力的に転戦し、バンクーバーではミツ荒川、 サンフランシスコ地区ではエンリケ・トーレス、ハワイのホノルルではエドワード・カーペンティアとも対戦した。 その後も英国マットでの活動を経て、1968年にニュージーランドへ凱旋、3月18日にオークランドにてジョージ・ゴーディエンコを破り、新興団体のオールスター・プロレスリングが復活させたNWA英連邦ヘビー級王座を獲得。以降はニュージーランドに定着し、同地のエースとなって活躍。フラッグシップ・タイトルの英連邦ヘビー級王座には、ゴードン・ネルソン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ブルドッグ・ブラワーらを下し、通算6回に渡って戴冠した〔。1973年12月2日には、オークランドにてジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。歴代のNWA世界王者ではホイッパー・ビリー・ワトソンやハーリー・レイス、同じくニュージーランド出身のパット・オコーナーとも対戦した〔。 日本には1968年11月、国際プロレスに初来日し、ジョージ・ゴーディエンコ、ビル・ロビンソン、ピーター・メイビアらと共に、IWAワールド・シリーズの第1回大会に出場。ゴーディエンコと組んで豊登&サンダー杉山が保持していたTWWA世界タッグ王座にも挑戦した。1974年9月には全日本プロレスに参戦、ニュージーランドで抗争を展開していたアブドーラ・ザ・ブッチャーともタッグを組み、ジャイアント馬場やザ・デストロイヤーと対戦した。1976年7月にはパキスタン出身のマジット・アクラ(''Majid Ackra'')として新日本プロレスのアジア・リーグ戦に出場〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P87(2002年、日本スポーツ出版社)〕。予選でアントニオ猪木から不戦勝を得て決勝リーグに進んだが、戦績は振るわなかった。 1977年、ドン・ムラコに敗れ英連邦ヘビー級王座を失い〔、現役を引退〔。以降は2005年まで青少年の更生保護活動に取り組み、ニュージーランドの女王功績メダルを授与された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ダ・シルバ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|