翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョン・ダルリンプル (初代伯爵)
・ ジョン・ダレス
・ ジョン・ダワー
・ ジョン・ダン
・ ジョン・ダン (政治学者)
・ ジョン・ダンクス
・ ジョン・ダンスタブル
・ ジョン・ダンニング (初代アシュバートン男爵)
・ ジョン・ダンフォース
・ ジョン・ダンロップ
ジョン・ダ・シルバ
・ ジョン・ダービ
・ ジョン・ダーマー
・ ジョン・ダーリング
・ ジョン・ダール
・ ジョン・チェイフィー
・ ジョン・チェンバース
・ ジョン・チェンバース (メイクアップアーティスト)
・ ジョン・チザム
・ ジョン・チビングトン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョン・ダ・シルバ : ウィキペディア日本語版
ジョン・ダ・シルバ

ジョン・ダ・シルバJohn Da Silva1934年6月11日 - )は、ニュージーランドの元プロレスラーオークランド地方プケコへ出身。
先住民族マオリの血を引くベビーフェイスとして、1960年代後半から1970年代にかけてのニュージーランドのマット界を支えた〔。
== 来歴 ==
1953年よりレスリングを始め、同年にウェリントンで行われたニュージーランド選手権ではエイブ・ジェイコブズ(アベ・ヤコブ)から勝利を収めている〔。ボクシングでも活躍し、1955年オークランドのアマチュア・ヘビー級タイトルを獲得した〔。 1956年にはメルボルン・オリンピックにレスリングのニュージーランド代表として出場。1958年にはウェールズカーディフで開催された大英帝国競技大会にも参加し、そのままイギリスに滞在してプロに転向した。
1960年代に入ると英連邦カナダに進出、トロントでは1960年から1961年にかけて、フレッド・アトキンスマイク・バレンティノスタン・スタージャック、そしてバディ・ロジャースとも対戦している。1961年4月はアメリカ合衆国本土を含む他地区も精力的に転戦し、バンクーバーではミツ荒川サンフランシスコ地区ではエンリケ・トーレスハワイホノルルではエドワード・カーペンティアとも対戦した。
その後も英国マットでの活動を経て、1968年にニュージーランドへ凱旋、3月18日にオークランドにてジョージ・ゴーディエンコを破り、新興団体のオールスター・プロレスリングが復活させたNWA英連邦ヘビー級王座を獲得。以降はニュージーランドに定着し、同地のエースとなって活躍。フラッグシップ・タイトルの英連邦ヘビー級王座には、ゴードン・ネルソンアブドーラ・ザ・ブッチャーブルドッグ・ブラワーらを下し、通算6回に渡って戴冠した〔。1973年12月2日には、オークランドにてジャック・ブリスコNWA世界ヘビー級王座に挑戦。歴代のNWA世界王者ではホイッパー・ビリー・ワトソンハーリー・レイス、同じくニュージーランド出身のパット・オコーナーとも対戦した〔。
日本には1968年11月、国際プロレスに初来日し、ジョージ・ゴーディエンコ、ビル・ロビンソンピーター・メイビアらと共に、IWAワールド・シリーズの第1回大会に出場。ゴーディエンコと組んで豊登&サンダー杉山が保持していたTWWA世界タッグ王座にも挑戦した。1974年9月には全日本プロレスに参戦、ニュージーランドで抗争を展開していたアブドーラ・ザ・ブッチャーともタッグを組み、ジャイアント馬場ザ・デストロイヤーと対戦した。1976年7月にはパキスタン出身のマジット・アクラ(''Majid Ackra'')として新日本プロレスのアジア・リーグ戦に出場〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P87(2002年、日本スポーツ出版社)〕。予選でアントニオ猪木から不戦勝を得て決勝リーグに進んだが、戦績は振るわなかった。
1977年ドン・ムラコに敗れ英連邦ヘビー級王座を失い〔、現役を引退〔。以降は2005年まで青少年の更生保護活動に取り組み、ニュージーランドの女王功績メダルを授与された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・ダ・シルバ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.