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ジョン・ジョージ・テリー(John George Terry, 1980年12月7日 - )は、イングランドのサッカー選手。プレミアリーグのチェルシーFCに所属し、主将を務めている。ポジションはCB。 FIFPro年間最優秀選手賞の守備部門に創設された2005年度から4年連続で名を列ね、UEFAチャンピオンズリーグの最優秀DF賞を2005年と2008年に2度獲得、PFA年間最優秀選手賞を2005年に獲得などの実績がある。 == 来歴 == 少年時代からチェルシーFCのアカデミー(下部組織)に所属する。トップチームに昇格したての頃は同じポジションにマルセル・デサイーやフランク・ルブーフがいたため出場機会はほとんどなかったが、ノッティンガム・フォレストFCへのレンタル移籍を経て2000-01シーズン、当時の監督だったクラウディオ・ラニエリに重用され出場機会が増加。2003-04シーズンには衰えが隠せなくなったマルセル・デサイーに代わりディフェンスラインを統率した。 2004年にジョゼ・モウリーニョが監督に就任するとチームのキャプテンに指名される。モウリーニョがフランク・ランパードらイングランド人と共に主将テリーに託した「率先してチームを引っ張ってほしい」という言葉通りに抜群のキャプテンシーを発揮。守っては、そのモウリーニョと共にやって来た新加入のディフェンダー・リカルド・カルヴァーリョと共にリーグ最少失点の堅陣を築いた。守備だけにはとどまらず攻撃の場面では得意のヘディングでゴールを量産した。中でもUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメント一回戦FCバルセロナ戦でのヘディングゴールはチームを救う一撃となった。なお、このシーズンで自身初となるUEFAチャンピオンズリーグ最優秀ディフェンダーに選出されている。 2006年10月14日のレディング戦では、GKのペトル・チェフが試合開始早々に相手MFスティーヴン・ハントの膝が頭に直撃し負傷退場となった上に、代わりに出場した控えGKのカルロ・クディチーニも後半ロスタイムに相手DFと接触し負傷退場となってしまった。交代枠を使い切っていたため、テリーがわずかな時間ながら代役GKとしてゴールマウスを守ることになり、自らのポジションであったセンターバックはFWのドログバが入ることになった。 2006年末から2007年の2月にかけて、腰の手術のためにチームを離脱。モウリーニョ監督はその間パウロ・フェレイラやマイケル・エッシェンをセンターバックに起用していたが、リヴァプールとのアウェー戦では0-2で完敗するなど守備の安定感を欠き、テリーの偉大さを証明する結果となった。2月3日に行われたチャールトン・アスレティックとのアウェー戦で終了間際に交代でピッチに登場し、約一ヶ月ぶりの復帰を果たす。翌週のミドルズブラではスターティングメンバーに復帰し、以前と変わらぬ安定したプレーを見せた。 2007-08シーズンのマンチェスター・ユナイテッドとのチャンピオンズリーグ決勝は、両チーム譲らずPK戦に突入した。マンチェスター・ユナイテッドで三番目のキッカーを務めたクリスティアーノ・ロナウドのキックをペトル・チェフが止め、決めれば優勝という状況で5番目のキッカーであったテリーに順番が回ってくる。しかし降りしきる雨によってぬかるんだピッチに足をとられたテリーは、ボールをポストに当ててしまい失敗。その後チェルシーで7番目のキッカーを務めたニコラ・アネルカのキックをエトヴィン・ファン・デル・サールが止め、結局マンチェスター・ユナイテッドに敗れた。テリーは涙を流し悲嘆にくれ、その後チームのホームページ内で謝罪をした。しかし「彼が居なければ我々は決勝に勝ち進むことは出来なかっただろう」とランパードが語るように擁護の声も多かった。 それを裏付けるように、このシーズンで自身二度目となるUEFAチャンピオンズリーグ最優秀ディフェンダーに選出された。 2011-12シーズンのチャンピオンズリーグでは、準決勝でのバルセロナ戦で退場処分を受け、ファイナル出場はならなかったものの、チームは因縁のPK戦でバイエルン・ミュンヘンに勝利し、ついに悲願のチャンピオンズリーグ制覇を果たした。 試合後のテリー、ディディエ・ドログバ、フランク・ランパードの「トリプル・ハグ」はチェルシーファンにはもちろん、多くのサッカーファンに感動を与えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・テリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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