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ジョン・ヘンリー・ハモンド2世(John Henry Hammond II、1910年12月15日 - 1987年7月10日) は、レコード・プロデューサー、ミュージシャン、音楽評論家として、1930年代から1980年代はじめにかけて活躍した人物。特にA&R担当者として新たな才能を発掘することを通して、20世紀のポピュラー音楽において、最も影響力の大きかった人物のひとりとなった。 数多くのミュージシャンたちが、ハモンドによって世に出され、あるいはキャリアを成功させることになった。その中には、ベニー・グッドマン、チャーリー・クリスチャン、ビリー・ホリデイ、カウント・ベイシー、テディ・ウィルソン、ビッグ・ジョー・ターナー、ピート・シーガー、ババトゥンデ・オラトゥンジ、アレサ・フランクリン、ジョージ・ベンソン、ボブ・ディラン、フレディ・グリーン、レナード・コーエン、ブルース・スプリングスティーン、アーサー・ラッセル、アシャ・プトゥリ、スティーヴィー・レイ・ヴォーンらが含まれている。 ==生い立ちと家族== ハモンドは、父ジェイムズ・ヘンリー・ハモンドにとって末子の長男であり、ジェイムズ・ヘンリー・ハモンド・ジュニアと名付けられた。父ジェイムズはフィリップス・エクセター・アカデミーからイェール大学へ進み、コロンビア大学で法律の学位を得て卒業している。父ジェイムズの両親、つまりハモンドの父方の祖父母は、南北戦争時の将軍ジョン・ヘンリー・ハモンドとソフィア・ヴァーノン・ウォルフであった。父ジェイムズは、スペイン大使を務めたオグデン・ハモンドと兄弟であり、女性政治家ミリセント・フェンウィックのおじであった。ハモンドの母エミリー・ヴァンダービルト・スローンは、ハモンドの母方の祖父母であるウィリアム・ダグラス・スローンとエミリー・ソーン・ヴァンダービルトの間に生まれた三姉妹のひとりであった。エミリーの父ウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルトは、その父でエミリーの祖父コーネリアス・ヴァンダービルトが海運や鉄道で築いた財閥を継承した実業家で大富豪であった。 父ジェイムズ・ヘンリー・ハモンドと、エミリー・ヴァンダービルト・スローンは、1899年4月5日に結婚した。二人の間には、ハモンドのほかに、エミリー、エイデル、レイチェル、アリスと4人の姉たちが生まれた。アリスは、1942年にベニー・グッドマンと結婚している。 ウィリアム・ヘンリー・ヴァンダービルトの曾孫としてニューヨークの大富豪の家に生まれたハモンドは、子どものころから音楽への関心を示していた。4歳でピアノを習い始めたが、8歳でバイオリンに転向した。母エミリーはクラシック音楽へと息子を向かわせようとしたが、ハモンドは(その多くが黒人である)召使いたちが歌い奏でている音楽に興味をもった。10代の頃からハーレムへ通って黒人ミュージシャンたちの演奏を聴くようになり、黒人ミュージシャンたちには変わり者のマスコットとして受け入れられるようになった〔Amazon.com: The Producer: John Hammond and the Soul of American Music: Books: Dunstan Prial 〕。1927年にはアラバマ・シアターでベッシー・スミスを聴き、生涯にわたる影響をうけた。 1929年、ホッチキス・スクールを卒業して、イェール大学に入学し、1933年卒業(予定)組の一員として、バイオリンを専攻するが、後にビオラに専攻を変える。大学はコネチカット州ニューヘイブン市にあったが、ハモンドは頻繁にニューヨークに通い、専門誌に定期的に寄稿していた。1931年、ハモンドは大学を中退して、音楽業界で仕事を始め、まずイギリスの音楽業界紙『メロディ・メイカー』の通信員となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ハモンド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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