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ジョン・バリモア(John Barrymore、本名:John Sidney Blyth、1882年2月15日 - 1942年5月29日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身の俳優。サイレント期から活躍した映画スターの一人であり、兄のライオネル・バリモア、姉のエセル・バリモアと共に「バリモア三兄弟」として名を馳せた。ドリュー・バリモアの祖父にあたる。 == 来歴 == 両親や親戚がみな舞台俳優という演劇一家に生まれた。しかし当初、ジョンは画家を志し、ニューヨークの新聞社で漫画を描いたりしていた。本格的に俳優への道を歩み始めたのは23歳の時である。1909年、『The Fortune Hunter』のヒットでブロードウェイ の人気スターとなり、1914年に『An American Citizen』で映画界にも進出する。 「偉大な横顔」(The Great Profile)と呼ばれた端正な風貌と、舞台で培われた確かな演技力で、『ドン・ファン』(1926年)『マノン・レスコウ』(1927年)のようなロマンティックなメロドラマから、『狂へる悪魔』(1920年)『悪魔スヴェンガリ』(1931年)などでの狂気に満ちた男まで、様々な役柄をこなした。また、舞台活動も並行して行い、特に1922年に主演した『ハムレット』は大評判となり、同作における当時の最長上演記録を作っている。20年代後半以降は映画に専念するようになった。 30年代には兄ライオネルが所属していたMGM社へ移籍し、『グランド・ホテル』(1932年)等に出演するが、若い頃からの過度の飲酒がたたって出演作は減り、加えて50歳を過ぎた年齢で二枚目役が困難となったため、次第に脇役へと転ずるようになる。晩年にはB級映画で自らをカリカチュアしたような役を演じるまでに落ちぶれていた。4度の結婚にもすべて失敗し、失意と貧困のうちに60歳で亡くなった。 『海の野獣』(1926年)で共演し、3番目の妻となった女優ドロレス・コステロとの間に生まれた長男で俳優のジョン・ドリュー・バリモアが、女優ドリュー・バリモアの父親である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・バリモア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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