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ジョン・ブルック
ジョン・マーサー・ブルック (John Mercer Brooke、1826年12月18日 – 1906年12月14日)は、米国の海軍軍人、技術者 、科学者、教育者。大西洋横断海底ケーブルの敷設に多大な功績があり、また著名な海軍兵器発明者でもあった。咸臨丸が太平洋を横断した際には技術アドバイザーとして搭乗したが、実質的にはブルックが艦の指揮をとった。 ==若年時の経歴== ジョン・マーサー・ブルックは1826年にフロリダに生まれた。独立戦争時の大陸軍准将であったヒュー・マーサーの子孫に当たる。父は米国陸軍の将官であったジョージ・マーサー・ブルック。南軍のダブニー・モーリー少将(Dabney Herndon Maury )、バージニア州知事(1794-1796年)であったロバート・ブルック(Robert Brooke)とも血縁にあたる。 ブルックはアナポリス海軍兵学校の最初の卒業者の一人であり〔Conrad, p.9〕 、1855年に米国海軍大尉に任官している。ブルックは長年に渡りマシュー・フォンテーン・モーリー中佐の下、アメリカ海軍天文台(USNO)に勤務し、星図の作成、および海底地形図作成のための測深を手伝った。それまでは海底はほぼ平らであると考えられていたが、陸地から11マイル(18 km)程度沖に出た外洋では、海底を確認できなかった。その理由の一つとして、海中では様々な方向に強い海流があるためと考えられた。深海の測深には誰も価値を認めておらず、モーリーは自身が発明した装置による測深を試みは結局失敗した。この失敗の後、ブルックは新しいアイデアを思いついた。ブルックは「深海測深装置」を完全なものにし、それ以降世界中の海軍で使われることとなった。モーリーはさらに海底からの「コア(サンプル)採取機能」を付加することを求めたが、ブルックはそれも発明した。
装置は、球形砲弾の中心を通るように中空のチューブを突き通したもので、チューブの内側は深海から採取したサンプルの汚染を防ぐためにコーティングされていた。コーティング剤は獣脂および最適な素材が見つかるまでいくつかの素材がテストされた。この深海サンプルを顕微鏡で観察する内、モーリーは彼を魅了するものを見つけた。さらなる調査と専門家の意見を得るため、 . . . 一部をウェストポイント士官学校の化学、鉱物学、および地質学の教授であり、著名な顕微鏡観察者であったウィットマン・ベイリー(Jacob Whitman Bailey)に送付した。1853年11月、返事が返ってきた。「あなたが先週送付してくれた深海サンプルに感謝します。興味深く観察しました。これは正しく私が求めていたものです。2マイル(3km)以上の深海に関して、このような観察ができるとは考えても観ませんでした。ブルックの装置に感謝します。サンプルを洗浄し、グリースを抜いたので、顕微鏡観察が可能になりました。深海の土壌が、砂の粒子や小石ではなく小さな殻に満ちていることを発見し、喜んでおります。主として石灰質の微小有孔虫の完全な殻、また一部はケイ質の珪藻の殻で構成されていました...」〔Williams, ''Matthew Fontaine Maury: Scientist of the Sea''〕
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ブルック」の詳細全文を読む
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