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ジョン・マッカーシー(John McCarthy, 1927年9月4日 - 2011年10月24日〔Biggs, John (October 24, 2011). "Creator of Lisp, John McCarthy, Dead at 84" . TechCrunch.〕〔Cifaldi, Frank (October 24, 2011). "Artificial Intelligence Pioneer John McCarthy Dies" . Gamasutra.〕)は、アメリカ合衆国の計算機科学者で認知科学者。マービン・ミンスキーとならぶ初期の人工知能研究の第一人者。「人工知能; Artificial Intelligence」という用語は彼が1956年のダートマス会議のために1955年に出した提案書で初めて使用された。また、ALGOL言語の設計に触発され、LISPというプログラミング言語を開発し、タイムシェアリングの概念を一般化させた。 チューリング賞、アメリカ国家科学賞、京都賞などを受賞。 == 学生時代までと私生活 == 1927年9月4日、マサチューセッツ州ボストンにてアイルランドからの移民の父とリトアニア系ユダヤ人移民の母との間に生まれる。世界恐慌のころは住居を転々としていたが、父が労働組合 (Amalgamated Clothing Workers) に職を得て、ロサンゼルスに定住する。都市を中心に活動する共産主義者だった両親〔連載:インターネット・サイエンスの歴史人物館(12)ジョン・マッカーシー | WBB Forum インプレスR&D〕の影響を受け、アメリカ共産党細胞にも入党したこともあった〔John McCarthy, 84, Dies; Computer Design Pioneer 〕〔John McCarthy, 1927-2011 - Stanford AI Lab 〕。 非常に聡明で、ロサンゼルスの高校を2年早く卒業した〔Woo, Elaine (October 28, 2011). John McCarthy dies at 84; the father of artificial intelligence . ''Los Angeles Times''.〕。特に、数学が得意で、十代のころ近所のカリフォルニア工科大学で使っていた教科書を入手して、独学で大学レベルの数学を学んでいた。その結果、1944年にカリフォルニア工科大学に入学し、数学については最初の2年間を飛び級で進級した。 マッカーシーは、体育の授業に出席しなかった。そのため、カリフォルニア工科大学から追い出された。そこで、アメリカ陸軍で兵役を積んで、再入学を認めてもらい、1948年に数学の学士号を得て卒業した。カリフォルニア工科大学でジョン・フォン・ノイマンの講演を聴き、将来の方向性について影響を受けている。卒業後もカリフォルニア工科大学で学び続けていたが、プリンストン大学に移ってソロモン・レフシェッツに師事し、1951年に数学のPh.D.を得た。 マッカーシーは、3回結婚している。2度目の結婚相手ベラ・ワトソンはプログラマだが、登山家でもあった。しかし、1978年に女性だけの登山隊でアンナプルナ登頂を目指していた際、滑落して死亡した。3人目のキャロリン・タルコットは、スタンフォード大学の計算機科学者で、後にSRIインターナショナルにて勤務した。また、マッカーシーは、自ら無神論者を自認していた。 2011年10月24日、死去。84歳没〔Lispの創案者、ジョン・マッカーシー逝去(84歳) TechCrunch Tokyo 2011年10月25日閲覧〕〔Lispの父J・マッカーシー氏、死去 - CNET Japan 〕〔Stanford’s John McCarthy, Seminal Figure of Artificial Intelligence is Dead at 84 | Stanford Engineering 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・マッカーシー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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