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ジョン・マーマデューク : ウィキペディア日本語版
ジョン・マーマデューク

ジョン・サッピントン・マーマデューク(英:John Sappington Marmaduke、1832年3月14日-1887年12月28日)は、南北戦争の時の南軍将軍である。1884年からその死の1887年までミズーリ州知事を務めた。
== 初期の経歴 ==
マーマデュークはミズーリ州セイリーン郡アローロック近くにあった父のプランテーションで、10人兄弟の次男として生まれた。父のメレディス・マイルズ・マーマデューク(1791年-1864年)はミズーリ州第8代知事だった。曽祖父のジョン・ブレシットは1832年から1834年までケンタッキー州知事を務め、在職のまま死んだ。
マーマデュークはミズーリ州ラファイエット郡のチャペルヒル・アカデミーとレキシントンのマソニック大学に通い、その後2年間イェール大学およびもう1年間ハーバード大学で勉強した。アメリカ合衆国下院議員ジョン・S・フェルプスがマーマデュークの陸軍士官学校入学を指名し、マーマデュークはそこを1857年に38名の同期中30番目の成績で卒業した。短期間第1アメリカ騎馬ライフル銃隊の少尉を務め、その後アルバート・ジョンストン大佐指揮下の第2アメリカ騎兵隊に転属となった。マーマデュークはユタ戦争に参戦し、1858年から1860年はキャンプ・フロイドに駐在した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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