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ジョージ王戦争(ジョージおうせんそう、King George's War 、1744年 - 1748年)は、欧州のオーストリア継承戦争に対応する北米大陸の植民地戦争である。当時イギリスを統治していたジョージ2世の名にちなむ。 この戦争はマリア・テレジアがハプスブルク君主国を継承したために起った戦争であるが、英仏が敵対陣営に属したため、北米大陸にも波及したものである。英領ニューイングランドではマサチューセッツ植民地知事のウィリアム・シャーレーが組織し、ウィリアム・ペッパーレルが司令官となった対カナダ遠征軍がセントローレンス湾の入り口を制するブルトン岬島にあったフランス側の強固な要塞ルイズバーグ(フランス語読み、ルイブール)を6週間の包囲の後に陥落させた。1745年6月17日のことである。一方のフランス軍も1745年11月28日にサラトガ砦を攻略し、さらに1746年8月20日にマサチューセッツ要塞を陥落させた。しかし、肝心のルイブール要塞奪回は嵐や疫病で失敗した。 こうして、お互い手詰まりになったため、オーストリア継承戦争を終結させたアーヘンの和約(エクス・ラ・シャペル条約)では、戦争勃発以前の状態への復帰が決められた。しかし、和平は長続きせず、翌年にはアカディア・ノバスコシアでが勃発、ほかの植民地も1754年にフレンチ・インディアン戦争になだれ込んだ。 == 関連項目 == *北米植民地戦争 *第2次百年戦争 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョージ王戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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