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ジョー・サウス : ウィキペディア日本語版
ジョー・サウス

ジョー・サウスJoe South、1940年2月28日-2012年9月5日)はアメリカ合衆国シンガーソングライターでギタリストである。有名な作品に、1970年にグラミー賞の最優秀楽曲賞を受賞した「Games People Playen、邦題:''孤独の影'')」や、1972年に受賞候補になった「Rose Gardenen、邦題:''ローズ・ガーデン'')」がある。
==経歴==
本名はジョセフ・アルフレッド・サウター (Joseph Alfred Souter)。キャリアとして最初のレコードは、1958年7月にNRCレコードから出したノベルティヒットの「The Purple People Eater Meets the Witch Doctor」である。このヒットを皮切りに、サウスの音楽は次第に真面目なものになって行った。
1959年に、サウスはジーン・ヴィンセントによって録音された二つの曲を書いた。アルバム『Sounds Like Gene Vincent』(キャピトル・レコード、1959年)に収録された「I Might Have Known」と、アルバム『The Crazy Beat of Gene Vincent』(キャピトル・レコード、1963年)に収録された「Gone Gone Gone」である。
サウスは以前に、アトランタの音楽出版者でラジオパーソナリティーのビル・ロウリー (Bill Lowery)に出会い、音楽の道を励まされていた。サウスはアトランタのナショナル・レコーディング・コーポレーション (:en:National Recording CorporationNRC)でレコーディングのキャリアを始め、他のNRCアーチストのレイ・スティーヴンスジェリー・リードらと共にギター演奏スタッフとして働いた。サウスの最初期のレコーディングは、NRCでCDへ再レコーディング化された。
サウスは優れたスタジオ・ミュージシャンでもあり、トミー・ロウの「シェイラ」、ボブ・ディランのアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』、アレサ・フランクリンの「チェイン・オブ・フールズ」でギターを弾いている。記録によっては、サイモン&ガーファンクルの最初のヒット曲「サウンド・オブ・サイレンス」に加えられたエレキギターのパートをサウスが演奏したとしているものもあるが、他の記録ではアル・ゴルゴーニとヴィニー・ベルをギタリストとしてクレジットしている。
ビリー・ジョー・ロイヤルは、「Down in the Boondocks」、「I Knew You When」、「Yo-Yo」(のちにジ・オズモンズのカバーでヒット)、「Hush」(のちにディープ・パープルサムバディズ・イメージ・ウィズ・ラッセル・モリスクーラ・シェイカーらのカバーでヒット)といったサウスの歌をレコーディングしている。
1960年代終盤の社会問題に呼応して、サウスの楽曲スタイルは根本的に変化を見せた。最も如実に表れているのが、1969年に出した辛辣でナンセンス味のない「Games People Play(邦題:孤独の影)」であり(エリック・バーンの同名タイトルの本〔日本では「人生ゲーム入門」の邦題で知られる。〕に触発されたとも言われる)、大西洋の両側でヒットした。みずみずしいストリングスの音色、オルガン、ブラスを伴奏として、この作品はグラミー賞の最優秀コンテンポラリー楽曲賞と最優秀楽曲賞とを受賞した。サウスは更に、「Birds of a Feather」(もともとは「Bubbled Under」の題で1968年2月10-17日付で106位、ザ・レイダースのカバーで1971年10月23-30日付でHot 100の23位まで上昇)や、自己省察的な2つの曲、すなわち、基本に返る「Don't It Make You Want to Go Home」(8か月後にブルック・ベントン・ウィズ・ザ・ディキシー・フライヤーズによってカバー)と、社会を挑発する「Walk a Mile in My Shoes」(ラスベガス時代のエルヴィス・プレスリーブライアン・フェリーコールドカットらによりカバー)といったヒット曲を続けて出した。
ジョー・サウスの作品で最も商業的に成功したものは、1971年のカントリー/ポップ部門で大ヒットとなったリン・アンダーソンの「Rose Garden(邦題:ローズ・ガーデン)」である。この歌は世界の16の国でヒット曲となり、アンダーソンはヴォーカル部門でグラミー賞を受賞し、サウスは最優秀カントリーソング部門と最優秀歌曲賞部門のふたつでグラミー賞にノミネートされることとなった。サウスはアンダーソンに、「How Can I Unlove You」(ビルボードチャートのカントリー部門1位)や「Fool Me」(同3位)といったさらに多くのヒット曲を書いた。フレディ・ウェラージニー・C.ライリーペニー・デハーヴェンといった歌手も、サウスの歌でビルボードカントリーチャートのヒット曲を放った。更に、サウスの最も有名な歌をカバーしたものが大半ではあるものの、サウスが書いた歌をレコーディングした歌手には、ジョニー・キャッシュグレン・キャンベルロレッタ・リンキャロル・バーネットアンディ・ウィリアムスキティ・ウェルズドッティ・ウェストジム・ネイバースリズ・アンダーソンジョージア・サテライツk.d.ラングらがいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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