翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョー・ダレサンドロ
・ ジョー・ダレッサンドロ
・ ジョー・ダレンスバーグ
・ ジョー・ダンテ
・ ジョー・チェン
・ ジョー・チェン (台湾女優)
・ ジョー・チッカレッリ
・ ジョー・チッカレリ
・ ジョー・チャップマン
・ ジョー・チャペル
ジョー・ティンカー
・ ジョー・ディニコル
・ ジョー・ディマジオ
・ ジョー・ディレイニー
・ ジョー・ディロン
・ ジョー・デュマース
・ ジョー・デュリー
・ ジョー・デラマルーラ
・ ジョー・デローチ
・ ジョー・デンプシー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョー・ティンカー : ウィキペディア日本語版
ジョー・ティンカー

ジョセフ・バート・ティンカーJoseph Bert Tinker, 1880年7月27日 - 1948年7月27日)は、アメリカ合衆国カンザス州ムスコタ出身のプロ野球選手遊撃手)。右投げ左打ち。1906年から1908年のカブスのリーグ3連覇を支えた「ダブルプレー・トリオ」の一人。
== 経歴 ==
にカブスでデビューする。デビューしたての頃は決して守備が上手いわけではなかった。この年の遊撃手での失策数は72とリーグ最多を記録。当時カブスの監督であったフランク・セレーに守備を鍛えられ、リーグを3制覇する頃には、リーグ最高守備率をマークするまでになっていた。チームはからまでリーグを4度制覇、ワールドシリーズも2度制覇する。
前後するが、シーズン中に、二塁手だったジョニー・エバースが他のチームメイトをホテルに置いたままさっさとタクシーに乗って行ってしまい、後にフィールドでティンカーとエバースは殴り合いの喧嘩を起こしてしまう。ティンカーとエバースの内野連携は当時賞賛されたが、この出来事以来彼らはずっとお互い口をきかなかったという。
にチームとの年俸交渉がこじれ、翌にレッズへ移籍。
とは新興のフェデラル・リーグシカゴ・ホエールズを監督兼任で率い、1915年リーグ制覇を遂げるが、リーグはこの年で消滅。
にカブスに監督兼任で復帰し、同年限りで引退する。
引退後はフロリダ州リーグで監督やスカウトを務め、不動産業も営んでいた。のワールドシリーズの解説でティンカーとエバースが同席する機会があり、二人は実に33年ぶりに仲直りをした。
に、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出。1948年、68歳の誕生日に糖尿病からの合併症により、フロリダ州で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョー・ティンカー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.